正義とは何だろう。 人や時や場所によって正義は異なるのか? 「変わらない正義があるはずだ」と信じ、正義を諦めないあなたが、探求の最後に読むべき記事がこちらです。
正義のヒーローに見る正義への渇望
この世に正義なんてない。
正義はあっても役に立たない。
そんな声がある一方、
ウルトラマンや仮面ライダー、近年ではアンパンマンやone pieceのように、正義のヒーローや正義の味方を主人公にした作品はいつの時代にも存在し、子供だけでなく大人にも愛されている。
人は、正義を求めてやまない。
長い間ずっと、正義を渇望している。
言葉で何と表現しようが、心では正義を信じている。
けれど、正義が何かはよく分からない。
正義を定義できない。
正義の概念が明らかでない。
いや、「分からない」というのはちょっと違う。
分からないのではなく、個々の正義がバラバラだと言う方が正しいだろう。
正義を信じて、握り締めて・・・
そもそも、正義とは何だろう。
ソクラテスは、正義を「魂の善さ」と定義した。
プラトンは、「正義とは、個人あるいは共同体の中で調和が完成されていることに他ならない」と結論付けた。
アリストテレスは、さらにそれを深め・・・・。
こんなふうに、哲学者たちは「正義」について真剣に学問し、「正義とはこうだ」という正義論を唱えてきた。
そして、様々な正義論が生まれた。でも、みんなバラバラだった。
彼らのように歴史に名を残す哲学者達ですら、同じ正義を分かち合うことができなかったのだ。
マイケル・サンデルの授業は、正義を考えることすらしなくなった現代社会の私たちに、「正義とは何か」を考える機会を与えたという意味では貢献したといえる。
それでも、ひとつの正義を分かち合うまでの教育には至っていない。
哲学者たちは(私たちは)、
正義を信じ、正義を握り締めて、、、
その結果、強く握り過ぎて、つぶれて見えなくなってしまった。
正義の名のもとに多くの犠牲が払われた。
なぜか?
誰も、愛が分からなかったからだ。
正義とは愛 愛とは正義
愛とは何だろう。
愛とは正義である。
たったひとつ、絶対変わらないもの。
普遍の真理。
それが愛。
本当の正義。
正義とは愛である。
正義は幻想と言うかもしれないが、正義を幻想とする見方こそ幻想だ。
一体どういうことか。
私が正しいと思っていることは、あくまでも「私にとっての正義」だ。
でも、あなたにとっての「正しい」ことは違うかもしれない。
例を挙げてみよう。
私にとっては「目玉焼きには醤油」が正しい(美味しい)。
でも、あなたにとっては「目玉焼きにはソース」が正しい(美味しい)。
この時、私が「目玉焼きには醤油」が本当の正義だとして譲らず、「目玉焼きにはソース」を認めないどころか、ソースを支持するあなたを罵倒した上、ソースを取り上げて捨ててしまったらどうだろう。
あなたは不快に思うどころか、私への怒りや憎しみの感情が湧いてきて、「目には目を」で、醤油を取り上げ捨ててしまうかもしれない。
戦争勃発だ(笑)。
ここで、別のストーリーを考えてみてほしい。
「醤油派」の私と、「ソース派」のあなた。
互いの感覚の違いに驚きながらも、それぞれが感じている「美味しさ」に焦点を当てると、
「自分が感じられない美味しさが存在するんだな~。 面白い♪
でもさ、美味しいって嬉しいよね。美味しい体験ができるって、幸せだよね☆彡」
と微笑み合える。
どうだろう、ここに争いは起こるだろうか?
自分の味覚(好み)だけを基準に、異なる味覚や調理法を否定したり傷つけたり奪ったりするのが前者。
「美味しさ」という幸せの共通項を基準(正義)として、それを分かち合うことで楽しめるのが後者だ。
正義観より正義感
正義とは、この「美味しさ」という共通項。
正義は、どんなときも変わらない普遍性をもち、絶対として存在する。
人それぞれで違ったり、時代や場所によって変わったりするものではない。
勘違いしがちだが、個々で異なるのは「正義」ではなく「正義観」である。
そして、正義観が異なるのは、本当の正義を知らないからである。
本当の正義(愛)と出会っていないから。
本当の正義を体験していないから「正義感」が湧いてこない。
正義が分からないと、感じられないのが正義感。
正義観 より 正義感 が世界を平和にするのだ。
これからの正義の話 正義をひとつにしよう
わたしたちは、正義が何なのかわからないまま、バラバラの正義を振りかざし、押し付けあいながら、どっちが正しいかを言い争ったり、奪い合ったり、戦争で人殺しをしたりしている。
正義がひとつじゃないから争いはなくならない。
正義がひとつじゃないから、不安や悲しみがなくならない。
あなたはどう思う?
それじゃあ、正義をひとつにすればいいじゃないか。
そう思ったあなたは大正解。
既にひとつの正義を手にしているも同然だ。
答えはいつだってシンプル。
正義をひとつにすればいい。
正義がひとつなれば、戦争もなくなる。
飢えも不足も差別も貧困も悲しみも我慢も苦しみも、、、、サヨナラだ!
正義をひとつにする。
それはつまり、世界をひとつにするということだ。
さっさと正義をひとつにしてしまおうじゃないか。
本当に世界を平和にしたいなら、
人々が喜べる社会にしたいなら、
やっぱり正義をひとつにしないとね。
愛をひとつにしないと、何も始まらないんだ。
そして、それをやるのは、あなただ。
今、これを読んでいる、あなた。
ここで正義の名言(素的な表現)をご紹介☆彡
「なんのために生まれて
何をして生きるのか
わからないまま終わる
そんなのは いやだ!」
何をしていきるのか、自分に問いかける時が来た。
(やなせたかし 「アンパンマンの遺書」より)
正義がわからない?
大丈夫、学べばいい。
正義を学べるところがちゃんと用意されている。
愛というたったひとつの正義を学べる場所。
みんなが同じ正義を分かち合い、ひとつの世界という花を咲かせる。
それが、いのちの存在意義でありゴール。
35歳以下なら誰でも入学可能。
正義を知るには、急いだほうが良い(笑)
入学された方は、入学祝いとして「正義の味方(見方)」を手に入れることができる。
これこそ最大であり最高の特典です。(自分一人では世界は変えられないのだから。)
ご興味のある方はこちらをご覧ください。
SP世界をひとつに https://hitotsu3.jp/
哲学者でさえバラバラな正義の解釈の中。
>それじゃあ、正義をひとつにすればいいじゃないか。
この発想がでてくることも凄いですよね。
それを「正義とは愛」と引き上げたのも凄い!
* みのるさん *
バラバラならひとつにしよう、ホトトギス。
そんな歌を詠んだ武将がいたような、いなかったような(笑) ニセモノ(幻想)の正義に疲れ、ウンザリした先に出てくる発想かも(*^^)v
正義は愛ってしっくりきますね。
正義こそ大きな中心(ひとつ)が必要に思います。
愛が中心になれば、争いとかもなくなるでしょうね(*’▽’)
* ミラクルさん *
> 正義こそ大きな中心(ひとつ)が必要に思います。
ほんとそうですね。ここ最近のニュースでは、大雨による災害対応など、愛だと思って動いても結果として愛に繋がらない(喜ばれない)というのは、正義がバラバラということを象徴しているようで、改めて愛という中心力で創る未来の輝きが美しいと感じています☆彡
>「正義の味方(見方)」を手に入れることができる。
入学祝いにぴったりで素的な表現に思わず微笑みながら
記事を拝見しました☆世界をひとつにする明るい愛と勇気を
沢山いただいてラッキー♪秋を過ごしています(*^^*)
* 美和子さん *
やった☆ 微笑み頂戴しました~(*^^)v 正義の味方と出会うために、勇気をもって歩を進められると大きな笑いになりますね~
正義は愛、それはひとつであることなのだろうなと思いました。
そこに真理や秩序もあって笑い合える世界が広がっているのだろうなと思います☆彡
* TORUさん *
分かりやすくシンプルにまとめてくださってありがとうございます(^○^) 何もかもひとつである。ただその正義だけを表現(行動)すれば、誰もが夢見る世界を創れる。未来のイメージが広がります☆
正義のヒーローが大好きだったり、正義への渇望ってある気がしますね。
いわゆる悪者を創りだす(必要とする)ような発想ではなくて、
みんなで同じ正義を分かち合うっていいですよね(^^)
それぞれが輝ける生き方ですね。
写真のお花もそれぞれが愛らしく美しくすてきですね♪
* 弘美さん *
愛を知らないままだと、悪を倒すことが正義になってしまって、そこからまた悪が生まれてしまうけど、普遍の愛が正義だと分かると、分かち合いも笑い合いも、自然に実現されるから、ほんと良いなあと思います☆
写真へのコメントもありがとうございます。 4種類の花、実は、全て「正義」という花言葉をもっているのであります(^^)v
自分より大きなものが本当の正義(愛)で、自分より小さなもの(ちっぽけな正義)とは違うのですね。自らの正義を捨てたところに、浮かぶ瀬もあり。
* 天大さん *
そうですね☆ 大きな正義を選んでしまえば、自分の正義・他人の正義に関わらず、あらゆる小さな正義が可愛らしく滑稽に映りますね(^^)
> 自らの正義を捨てたところに、浮かぶ瀬もあり。
これ、新しい正義の名言ですね!
>正義観ではなく正義感
愛らしいなと思いました(*^_^*)
世界や時代を超えきっとそれぞれで感じることは
「こころ」というもので繋がっている
だから感じる正しさ(愛)が大切なんですね
嬉しくなる記事をありがとうございます.。o○☆
* あやこさん *
哲学者(歴史)は正義をひとつにできなかったけれど、皆ひとつの正義は感じられていたのだと思います(^^) みんな「こころ」で繋がっている。「こころ」は誰にでも平等にそなわっている正しさ(愛)を感じるセンサー。そのセンサーで感じ取ったことを否定してしまうと、本来ひとつのものがバラバラになって、悲しい、苦しい。「こんな幻想の繰り返しはもう十分!」と勇気を出してたったひとつの正義へと動くと、何もかも一気に愛へと転がるようになっている、 like a rolling stone ですね♪☆