あらゆる分野の雑学を大きく2つにまとめ人生豊かにしてみよと思いました。
力強い命たる雑学をまとめる
そういったものを理解しようとする時は自らの目的を見直すことだ
自らはその雑草に向かい合うきちんとした目的があるだろうか・・・
じつは雑学も雑草と同じように力強い生命があります。
そんな雑学に目的を持つと雑学そのものの意味が分かってくるんです
「雑学」って、よく言葉にはしますが
その「雑学の意味」となるとちょっと分かりづらいと思いませんか?
分かりづらいものは
そんな時はイメージしてみるといいですね
わたしは「雑草のような知識」 というイメージをしています。
庭でも畑でもいいのですが雑草は願ってもないのに
その人の目的に関わらず、とってもとっても生えてきます
そんな生命力のある雑草を見本に、
じんせい生きてゆく中できっとためになる生きる力になる雑学を
エ~イッ!とまとめてみました
雑学のまとめ じんせい如何に
一、人生、生きるか死ぬかではない
「愛である」か「愛ではない」か である
「生きるか死ぬか、それが難題だ。」
言わずと知れたシェイクスピアの名台詞です
でもこの時代、死は何も達成することはできないと分かってきている中で
この言葉は今後のあなたの人生において
消えてゆく言葉にして頂きたいと思います。
臨もうとのぞまなかろうが死は迎えるようになっています
そしてその死んでゆく人の悩みや苦労といったものは
死によって解決することはありません
この知識は大切な雑学のまとめです。
それは「命は永遠」という定義が望まれているからです。
今も昔もずっとです。命は永遠ということが望まれているのです。
望まれているものと事実は別と思われますか?
実は同じなんです。これは偉大な雑学としてご紹介したいと思います。
人という霊長類からみられる現実を創りだる力(エネルギーやパワー)は
世界で、精神世界のみならず科学者も注目し研究しています。
「人の思い(願い)は現実となってあらわれる」
つまり、真実となるのです。
「人が願っているものは既にそうなっている」とも言われています。
これは命に関する大いなる雑学をまとめたものだといってもいいでしょう
これをいつでも思い出せるように脳の片隅にでもストックしておくと
人生、有意義に送れること間違いなしですね。
雑学は小さなことに関しての知識より大きな真実を抑えてみると
後から小さなものが入ってくる時に整理しやすくなり
人生、有意義に過ごすのに大変便利です。
人は命は永遠であってほしいと思っている
命によって物事を知り楽しむ
それは終わりがあってはならない
たとえ今がどんなに苦しく辛くても真っ暗闇に思える人生を体験していようと
今、命は永遠の輝きをもってどんな人の中にも存在しているという願いが
必ずあるのです。
その願いを証明(事実に)しようと人生を掛けたものがあります。
永遠の命を懸け、体験し分かろうとしているのが愛です。
雑学のまとめ 愛の対義語は無関心よりもバラバラ(分裂)
二、この世に生まれたのは 愛をより深く 分かるため さ
というのはご存知ですか?
そう、うたの歌詞です。(「コンドルは飛んでゆく」より)
「ウタ」というのは心の叫び、心の模様に反映して顕れ形になるもので
多くの雑学が含まれ、分かりやすい言葉になって残されていますね。
この雑学をもとにして人生を更に有意義にするためにお話しを勧めようと思います。
そう、後半は愛についての雑学のまとめをひとつご紹介しようと思います。
それもとっても大きな大きな、おおお~きな愛です
さあ、イメージしてみてくださいね
最大な愛を様々な分野から雑学をまとめてご紹介します☆彡
愛をイメージするようになると
人は笑顔や広がりを感じると言います
これは脳内にアルファ波が出てリラックスすことができ
様々なストレスから解放され、真の喜びを思い出すからだと言います
このわずか数行の内容も実は3つ以上の分野からの雑学をまとめたものです
まとめ考え新たな真実を形にしてくれるのも
しぜんと記憶されてゆく雑学からなっているのが分かります。
こうして1つの形になってしまった内容はこれは科学の分野、哲学、医学、…
というように分けることは難しいでしょう
そしてその作業は無意味であるのに気づかされます。
愛を説明すると難しいのですがイメージ、つまり「思い出す」ということは
容易いと言われています。
それはいちいち分野などに分けて物事を思い出すことはしないからです。
理由は「人」自体が、科学の分野、哲学(宗教)の分野、医学の分野…
などと分かれている存在ではなくまるで雑学のような
細胞レベルでの記憶から、繋がりやリラックス、そして笑いとまとまり・・・・
そのような感覚を味わえる体験に出会い、愛になっていると、確認してきたからです。
そして「いのち」というものはこの愛によって始まっています。
これは哲学だけではなく様々な分野をまとめると出る雑学的な内容ですね。
バラバラではなく関係性や互いによって発生する力など
すべて単独ではない喜び(愛)に通じるものです。
そしてその雑学を活かしわたしたちが命を受けた理由を生きようと悩むのならば
生きるか死ぬかではなく
「愛である」か「愛ではない」か なのです
毎日、まいにち、悟れるようになるまで(笑)
わたしが今やっていることは(あるいはやろうとしていることは)
「愛であるか」か「愛ではないか」を 問えばいいということになります。
おまけ 心の雑学のまとめ おまけ
「心がない」という言葉は「人間でない」という言葉と
同じ意味を持つそうです。
しかし残念ながらこの心について人類は未知で、
なぜ発生するか、どこにあるのか、そんな基本的なことすら分かっていません
では、どうしたらこの心を知る雑学に出会うことが出来るのでしょう
それは もっとも大切なまとめになることでしょう―
ここまでお話ししてきた雑学の意味と同じように
あらゆるものはすべてわかれていない、という事実(あい)を
認めることです。
「 科学だけ、哲学(宗教)だけ、医学だけと分けて結果を出すことをやめ、
全てひとつにまとめ、根源的な力を探求できる勇気が求められる時事が
あらゆる雑学の意味だと 」
一握りのこの時代の先駆者は語っています。
>「愛であるか」か「愛ではないか」を 問えばいいということになります。
自分自身の心を見つめ直す時に
自身に問いかけるといい言葉だな~と思いました。
雑学もまとめてしまえば、愛という表現になるのは面白い発見でした(^^)b
コメントありがとうございます(*^_^*)
雑学にも愛をそえてみるといいですよね☆彡
きっと愛が目的を教えてくれるのだと思いました。
あやこさん、この前の大雨、大丈夫でしたか?
ここ数日は、自然災害や、憲法の事が気になり命について、考えてました。そんな時、愛ではじまり恩でおわる。と言う言葉がふとわいてきて、今を大切に生きようと改めて思っていました。
愛をより深くわかるためさ。
色んな愛を体験して、勉強して、命が終わりを迎える時には、感謝で終りたいですね。ありがとう.。o○
今日から、連休を利用して、実家に帰省中です。これからは、秋の深まりも楽しみですね。
みさこさん、ご心配を頂きましてありがとうございます。
こちらは特に変わったこともなく平穏に過ごさせて頂いています。
>愛ではじまり恩でおわる
愛の季節にあいまった深い体験の末での言葉ですね
わたしもそんな言葉を生きてみたいものです。
>今日から、連休を利用して、実家に帰省中です。
>これからは、秋の深まりも楽しみですね。
はい、そうですね(*^_^*)
ご実家ではごうぞごゆるりとご自愛下さいませ。
いつもコメント楽しみにさせて頂いています。
ありがとうござます☆彡
高尚な雑学ですね(^^)雑草の専門家が、雑草なんて存在しないと言っているのを思い出しました。十把一絡げにすれば雑草ですが、ひとつひとつ素晴らしい命ですね。
>雑草なんてない
ほんと、そうなんでしょうね(*^_^*)
わたしもこの記事を書くまで
雑草なんて植物に興味のない人がいい加減にまとめたものだと
思っていただけでしたw
雑草のいわれは定かではありませんが
ひとつひとつの命が素晴らしいように
雑草として見られているからこそ(名もない自由な命だからこそ)
力強い生命力にあふれているようにも思います。
そして目的を持ったエネルギーに導かれる時
きっと大きな意味のある力となって更なるひとつへと仕上がるのかと・・・(^^)
大切な内容がぎっしり詰まった記事ですね(^^)
> あらゆるものはすべてわかれていない、という事実(あい)を認める
ほんとそれだけで、何万年という歴史をかけて悩み、考えてきたことが、あっと言う間にひとつにまとまり、スッキリとした笑いになって、新しい愛を体験できると思いました☆
>大切な内容がぎっしり詰まった記事ですね(^^)
生きるという愛の目的に雑学という自由な知識を感じてもらえればと
思い記事にさせて頂きました。
ちょっと繰り返し的な言葉も浮いていて思ったよりも長くなってしまって
恐縮しています。
だんだん秋らしくなってきますね。。。。
世界もだんだんひとつへと愛らしくのきせつでしょうか(^^)
雑学っていうのは、雑多な知識の集合でもあるのでしょうが、〝分野分けしてない” ということが面白いところですね。
〝この分野ではこう言われているけれど、あちらの分野ではそうではない”とか、そういう視点で分けてしまわない、それは今の時代に特に感じ取りたいところだなと思いますね。
大きな目的を見れば、分けるのではなく、否定するのでもなく、自然とひとつに集約されていく流れでしょうね☆彡
弘美さん、本当に大きなお話をスーッとまとめてくださってありがとうございます。
それを言いたかったのよ、という感じです☆w
>雑学っていうのは、雑多な知識の集合でもあるのでしょうが、
>〝分野分けしてない” ということが面白いところですね。
ほんと、そうですよね☆
>〝この分野ではこう言われているけれど、
>あちらの分野ではそうではない”とか、そういう視点で分けてしまわない、
>これは今の時代に特に感じ取りたいところだなと思いますね。
確かに☆この時代をリスペクトするためにもここに焦点を置きたいですね。
>大きな目的を見れば、分けるのではなく、否定するのでもなく、
>自然とひとつに集約されていく流れでしょうね☆彡
これ、これです☆
そこに強さといのちを感じるんですよね。
「流れ」という「大いなる変化」でもあるのかな、
その強さがいいな~と思うんです。
それでこの記事を書かせて頂いた次第でした。
素的なまとめをありがとうございます(^^)/
雑草も雑学も、素朴で個人的にとても好きだったのですが
あやこさんの記事から大きな愛の世界の中での雑学は
楽しく心地よく自然にひとつを謳っているのだなと思いました♪(^^)
そうそう、わたしも素朴なところが好きなんですよ(^o^)
雑学も雑草もとっても身近で力強いもので
きっと愛やひとつがきちんと感じられると
素的な人生、豊かな未来に繋がるのだと思いますね。
美和子さん、コメントありがとうございます(^^)/