多神教とは 多様性の時代に必要なもの


多神教
すべてに命が宿る

多神教は懐が深い。イメージしてみよう。神社で手を合わせる時、心の中が清らかで澄み、広い空間が出来るような感覚にならないだろうか。

多神教は寛容と言われる。私達の祖先は自然界の色々なものに神を感じ、畏れ敬って来た。

神道の神様には、あまり思想のようなものが無い。何でも受け入れてくれる感じがする。私達は、神棚や神社の中に何かがあると感じ、手を合わせる。何を願うかは自由だ。

神様の姿は、昔の人達がイメージしたものだろう。でも、大切な事は、神様がどんな姿をしているかという事ではなく、そこに何かがあるという事。

日本人は、天の道を信じ、何でも受け入れる寛容さと素直さを持っていた。その懐の深さが仏教や様々な宗教、文化を受け入れる土台になった。

神道と違い、仏教には様々な教えがある(もちろん神道にもまったく無いわけではない)。仏教は釈迦の教えに、後からインドの神々が結び付けられた。そして多くの偉人の教えが派生した。

仏教の曼荼羅には、たくさんの仏が描かれている。愛や真理は、究極にはひとつだけれど、色んな面を顕したのが、観音だったり、不動明王だったりする。目に見えない存在はイメージしにくいので、仏の形を取っていた方が分かりやすかったのだろう。

多神教は人間臭い。人の世の情けを分かるのも多神教の良さだ。そして、何もかも受け入れる懐の深さを備えている。

ローマ帝国が発展したように、日本も洋の東西から世界中の文化を受け入れて発展してきた。

神様や宗教にも色々ある。己の道や信仰を貫くのも尊いけれど、周囲との軋轢を生む事がある。日本は全部を受け入れて、理解し、尊重できる土壌がある。

神仏とは何かを決めつけてしまわないのが、多神教と言えるかもしれない。神様は何にでもなれる。神様がどんな姿をしているかが大事なのではなく、在ると認めて感謝するのが多神教なのだ。どこにでも神様が在ると認められるからこそ、多様性を認め他者を尊ぶ事が出来る。

日本の神様はある意味凄い。何でも神様。穢れているものでも神様。森羅万象すべて神様。

目に見えるもの、目に見えないもの、存在するすべて。皆、愛の表現なのだと分かっている。この世界の何もかもが愛だと気づけば、世界はひとつに向かうだろう。

つまらない論争よりも、愛の本質と今の時代に必要なものを知りたい方は下記からどうぞ。

ひとつの世界を創っちゃおう!

 

 


8 thoughts on “多神教とは 多様性の時代に必要なもの

  1. >この世界の何もかもが愛だと気づけば・・・

    気付いて欲しいですね
    それには気付きやすい書物かネットのHPがあれば良いですね
    あぁ このリンクを辿れば良いのかー!(笑)

    1. みのるさん

      独学よりもすでにやっている所をあたると回り道せずに済みますね(^^)

  2. >すべてに命が宿る

    本当にそうですね。
    命への敬意、大切に感じながら、またこの世界を生きていきたいです☆

  3. 日本人の感覚としてあらゆるものに
    神を見出すことが平和な世界を創り上げる
    土台になるのかもしれませんね。

  4. やっぱり神様って器がでかいな~って思いますね
    この宇宙に存在している時点であらゆる多様性を認めている気もするんですよね

    本質を掴みたい方こそ、あとはもうダイレクトにHP読んで体験してみるのが一番ですね☺

    1. ミラクルさん

      存在してる時点で認められているとしたら、認めるも認めないも無さそうですね。そして、多様性に着目するよりも根源に目を向けると良さそうです。

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