禅問答とは、禅宗の僧が悟りを開くために行う問答の事です。転じて、かみ合わないやり取りという意味でも使われています。分かりにくい禅問答も答える側に立って考えると意味が見えて来ます。
私達は答えのある問いに慣れています。テストでは必ず答えがありますね。現実に色々な問題が起きた時も、自分のモヤモヤに対する答えを欲しいと思います。出来れば、Yesと言ってほしい。
でも、そういう事は答える側に立って考えるとあまり意味の無い事なんです。私達も、自分自身が親や先輩という立場になる事があると思います。その時に、自分の答えを与える事が良い事とは限りません。
それに、頭で考える答えには大きな意味がありません。目の前にゾウがいて、あれはゾウですという答えは普通すぎますね。大切なのは広い世界に目を向けるきっかけを与える事です。
そういう意味では、すぐには分からない答えの方が良いのです。
弟子であれば、師に導いて欲しいと思う事でしょう。しかし、本当に必要なのは自分の足で一歩を踏み出す事です。
悟り自体を目的にする事はお勧めしません。人生の中で、深い愛を悟っていく事が大事なんです。
そして、肝心な事は適切な問いを発する事です。答えは後からついてきます。最初の問いが肝心です。
私は何のために生まれて来たのか
なるべく大きな事を考えましょう。例えば遊園地の作業員だったとして、その一部の作業をやる事が目的ではなく、遊園地全体を支える一員であるという事が大切です。
無目的で得られる悟りは多くはありません。大きな事のために生きる意識を持つと
人生を通じて何度も何度も悟る体験をする事が出来ます。
そうそう、悟りというのは世界から隔絶した事じゃないんです。むしろ、生きている事がなんて素晴らしいんだろうという体験なんです。
よく、周囲の事を考えられるようになったから、あの人は成長したねという言い方を耳にします。どうせだったら、もっと大きな事を最初に考えちゃった方がいいんです。
実は、私達を常に見守っている大きな愛の存在があります。誰とか、どれ、ではなく全てである存在です。それを愛(源)といいます。
何のために生きるのか、何を生きるのか、生きたいのか。
最高の問いを発すれば、必ず応えは得られます。
愛(源)のエネルギーとの対話メール
興味のある方はどうぞ。
何のために生まれてきたのか
大きな愛と共に、語り合いながら真っ直ぐに取り組めたら幸せですね。
弘美さん
大きな愛とともにですね。そこがあれば鬼に金棒ですね。
一人ひとり、人生が違えば答えも違ってくるから
誰かと比べることなく
自分の答えは自分で考えて導き出すと
進むべき道が分かってきそうですね。
TORUさん
結局、それしかないんですよね。大きな愛を道しるべにして、自分の足で前に進むとオリジナルな答えが見えてきそうですね。
>本当に必要なのは自分の足で一歩を踏み出す事です。
今更ですが響きました☆彡
そして 最高の問いをする
そのことの大切さを感じることができました(*^_^*)
あやこさん
みんな最善をやっているのだけれど、本当に最高の問いをする人は大きな愛にたどりつきますね。
何のためにいきるのか
禅問答する前に生活しながら考えて 分からない時師匠が教えてくれるといいな でも自分でもっと考えろ言われるだろうけど(^_^)
みのるさん
不思議と人に質問した事ってあまり身にならないですよね。動いた結果、どこからともなく教えてくれる人が現れる時に大きな愛が働いているんでしょうね。
何のために生きるのかを考える時
すぐに答えを求めるのでなく
大きな愛を先に感じての行動に伴いながら
考えると 笑いになる答えに繋がるのですね!(^^)
美和子さん
答えではなく、応えなんでしょうね(^^)
答えに確信が欲しい時こそ
大きな愛と答え合わせすれば良さそうですね
ミラクルさん
大きな愛に向かって問う事が大事ですね(^^)