「七転八起」は座右の銘としてもよく使われることわざですね(^^)
改めて、意味を調べてみると
コトバンクより
【 七転八起(しちてんはっき)とは
《7回転んで8回立ち上がる意から》何回失敗してもくじけず、
立ち直ってどこまでもやりぬくこと。
ななころびやおき。】
なるほど。
では、なぜ「7回」転ぶのに立ち上がるのは「8回」なのでしょうか。
転んだ数だけ起き上がると考えると、
7回転べば7回起き上がるとイメージできるとは思いますが。
これは諸説あるようですね。
この場合の7や8の数字には特に具体的な意味合いはなく、
ただ「数が多いこと」を表しているだけという捉え方も。
そしてまた、このことわざの語源は仏教にあるとする見方は、こうです。
人は生まれた時から立ち上がっているわけではありません。
周りの大人たちに見守られながら成長を重ね、初めて立ち上がることができます。
その人生最初に立ち上がることができたことを「1回」とカウントしているため
起き上がる回数が1回多いことになる、という捉え方。
そうですよね、幼い頃、立てなかったところから、立つことができた。
それも最初に1回入っていると考えるのも、興味深いですよね。
幼い子供が、立とうと試みることは、特に悲壮感なく
何度もトライする感じですよね。
そしていつしか、自然に立っているのでしょうね。
七転八起の言葉の中に、淡々と未来を見据えてトライする感覚は
すてきだなと感じます。
人生における重心
七転八起というと、縁起物のだるまも繋がりがあるようです。
重心が振れずに何度でも起き上がる様子、見覚えがありますね。
達磨大師の面壁九年という坐禅をし続けた逸話に見立てられ
達磨大師の顔が描かれるようになったそうです。
もちろん、重心がポイントですが、自分の人生を貫くものがあれば
きっと、何度も起き上がることは自然とやれるのかもしれません。
七転八起、紐解いていくとなかなか興味深いなと感じました。
体験から学び 糧としながら
私達は肉体を授かって、この世界で体験するということができます。
それはとても貴重ですね。
もちろん、どんな体験もできるけれども、
自分が願い決めたことを「どこまでもやりぬくこと」
それは、思うようでなかったと感じるような体験からも学び、
糧としながら、より大きな自分となって、
広い視点を持って生きられたら、とても素晴らしいことだなと感じます。
私達は愛であり、ひとつである。
それが真実であるこの世界で、それを本当に分かるように生きられたら
そしてそれを形にしていけたら、
その歩みは楽しいことだなと思います。
こちらのページも是非、ご覧くださいね☆
達磨さんも好きですが
体幹を鍛えて華麗で軽やかに動けるアスリートもイメージできる
七転八起の重心☆ひとつへの創造を貫く心を大切にしながら
人生や世界を楽しみたいと思います(*^^*)