細やかな気遣いや気配りができる人は、人間関係のストレスも大きく、疲れてしまいがち。
「なぜ?」と考える習慣をやめるだけで、人間関係は「めんどくさいもの」から「楽しいもの」に変わります。あなたらしい人間関係をここから始めてみませんか?
人間関係の疲れ・ストレスは「なぜ?」
人間関係がこじれる時は、大抵、自分以外の他者が「なぜ」そう考えるのか、「なぜ」そう感じるのか等、「理由」が分からないことが原因になっています。
彼女は「なぜ」こんなにうるさい音楽が好きなんだろう?
先輩は「なぜ」僕ばかりを怒るのだろう?
先生は「なぜ」できそこないのアイツを目にかけるのだろう?
「100歩、いや、10000歩譲っても分からない。理解できない!」
そう思うと、怒りや悲しみ、憎しみ、妬みといった負の感情が湧いてきます。
負の感情に支配されると、「きっとあの人は私のことが嫌いなんだ」「僕には価値がないんだ」などと思い込むようになり、人間関係がギクシャクしてきます。
人間関係で「なぜ?」を考えだすと、ストレスは増大し、疲れるだけです。
「なぜ?」と考える習慣をやめよう
他者が理解できず、つい「なぜ?」と考えてしまう習慣がある方は、いますぐやめましょう。
なぜなら、あなたは他者にはなれないからです。
いくら理由を考えても、あなたがあなたである限り、答えは出せないのです。
あなたは「自分」というフィルターを通してしか、周りを見ることができません。
静かで落ち着いた音楽が好きな自分。
一生懸命頑張っている自分。
アイツよりも成績が良い自分。
それが、あなたが信じている「自分」です。
いつもこの「自分」という物差しで周りを見ています。
あなたに限らず、人は皆「自分フィルター」で物事を見て、考えます。
千差万別の「自分」というフィルターがあり、そこから見える世界は千差万別です。
そりゃあ腑に落ちないこと、分からないことだらけでも当然です。
ですので、「なぜ?」と理由を考えることは無意味です。
「なぜ?」を考える習慣はさっさと手放し、楽になりましょう。
人間関係が「めんどくさい」から楽しいに変わる
人間関係のもつれやゴタゴタを経験すると、「人間関係がめんどくさい」「人付き合いは嫌」と思ってしまいがちですが、他者から学び、他者との関係を通して成長できるのも事実です。
なぜ、この世界には自分だけなく他者がいるのでしょう。
その理由が分かれば、人間関係はもっと楽しめるもの、感謝できるものに変わります。
まずはこちらで、その理由を「感じる」ところから始めてみましょう (^^)
SP世界をひとつに https://hitotsu3.jp/
幸せに理由も比較もいらないということですね。脳は過去の経験からしか物を判断できないとすれば、新鮮な今を見つめていたいですね(^^)
* 天大さん *
「幸せに理由も比較もいらない」とは名言ですね(^^)
考えることが悪いということではないですが、考えのループに陥り、答え(理由)を見失ってしまうと楽しめない。。。そんな時は一旦止めて、感じる、にシフトすると新鮮な今が見えてきますね☆
「なぜ?」を考えるのをやめる
というのは面白いですね(^^)
確かに答えが出されないままだと辛いもの・・・
>なぜ、この世界には自分だけなく他者がいるのでしょう。
同じ「なぜ」でも
こちらの なぜ の答えは用意されているようですね(^^)
よかった(笑)
写真、誰だろう~(笑) とっても綺麗に撮れていますね☆
光加減がいいのかな・・・全体の色合いもいいですね。
* あやこさん *
ご存知のとおり、どちらの「なぜ」の答えも同じなのですが(笑)、後者の道のほうが楽に辿り着けますよね(^^)
写真へのコメントもありがとうございます。自分が撮影したものではありませんが、お医者さんの「ドクターストップ」なのに優しい感じがして、今回使わせていただきました♪
写真、意外でした☆
てっきり聖弥さんが自分を撮影したものかと思いました(^^ゞ
やさしい雰囲気と色目でそう思い込んだのですね(笑)
言ってみるものですね(*^_^*)v
* あやこさん *
そうでしたか(^^)
自分の思い込みで恥ずかしい思いをすることは良くありますが、人の思い込みというのは未知との遭遇のような感じで面白いですね(^‐^)
大きな大元の理由(愛)を感じることで
人間関係が心から楽しめるポイントになる☆彡
そこを穏やかに軽やかに意識できると
ストレスや疲れもしゅっと消えるが嬉しいでね(^^)v
* 美和子さん *
「大きな大元の理由(愛)を感じる」
すっきりと集約してくださりありがとうございます(^^)
「理由」に近づけば近づくほど理解が深まって、感謝や楽しさといった喜びを体験できるんですね。
人を理解できて当然だというスタンスでいると、あれ?なぜ?と苦しんだりするのかもしれませんね。
だからこそ、他者とも繋がる根源的な共通する部分を感じたくなるのかもしれません^^。
* 弘美さん *
「人を理解できて当然だというスタンスでいると、あれ?なぜ?と苦しんだりする」
そっか、そういう場合もあるのか、と新たに学ばせていただきました(^^)
他者を理解したい、という知的欲求の奥には「一体化したい」という起源的な欲求があから、自分と他者に分かれた始まり(理由)を理解するのが一番の近道なんですよね。こんなふうにスケールが大きな話は、「共通する部分を感じる」ところから始めるのがコツですね♪
様々な人間関係も愛という視点からはひとつになっている。
そんな不思議な世界だけど、
やっぱりひとつになれる体験を求めているのが
私たちだったりして(*”▽”)v
* TORUさん *
「やっぱりひとつになれる体験を求めているのが私たち」
ほんとそう思います(^^)
理解したい、分かりたいという欲求は、始まりの理由であって目的。
本当は他者などいない。まるで悟りのようなその世界はどんなものか、一度は体験してみたいものです(笑)