「木を見て、森を見ず」 という言葉がある。
大辞林によると
〝小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ”。
目先のことに捕らわれて全体を見失うことのたとえに使われているようだ。
この言葉通り、何となく森をイメージしてみた(^^)
森全体をイメージしてみると、
一本の木も、単独で存在しているのではないと分かる。
自分1人で生きているように思ってしまう時もある。
そしてそれは苦しさを伴ってくる。
でも本当は、もっと広い世界で生かされていると感じられると、
その「繋がり」に目を向けられると、
また新たな視点が得られるかもしれない。
「木を見て森を見ず」 この言葉は、また
枝葉には目がいくが、より大元の根っこの部分(本質)が
見えていないとも使われるらしい。
確かに、先ほどの話もそうだが、「枝葉」ばかりでは、
その繋がりを感じきることはできない。
物事の一部を見て、一喜一憂しているのかもしれない。
より大元の根っこの部分を感じられたら、
また自分の世界感は違ってくるだろう。
まずは自分がその大元の根っことの繋がりを感じられたら、
他の枝葉だって、全てひとつだったのだなと分かる。
そんな大局的見地に立つって、
でも相当難しいのではないかなと思ってしまいますよね。
日々、小さなことに心を痛めて、孤独感を全身で感じて、
おろおろしてしまうことってあるから。
でも生活の中から、少しずつ、
その大切な「繋がり」を感じていくこと、
そして、広い世界にひとつに繋がりながら生かされている自分を
その命を感じることができるのです。
新しい視点を得て、本来の自分を始めていきませんか♪
>根っこを見る
>大元を思う
日々の生活の中で習慣になったら
きっと価値観や考え方も大きくなって
大きな自分になれそうですね(*^_^*)
「木を見て森を見ず」面白いお話をありがとうございました。
あやこさん☆
ものの見方、考え方も日々の繰り返しから、
習慣が大きいのでしょうね。
折に触れて、思い出してみたい言葉でもあり
取り上げさせてもらいました(^^)
先ず森を見て木を見て根っこも見る。良いですねー。
全部見てから個々に目を向ける習慣で、ものごと見過ごさなくなりますね。
みのるさん☆
>先ず森を見て木を見て根っこも見る。
いいですね~。見落とし偏りもなしって感じで(^^)
色々な見方ができるというのも、心に余裕があってこそという
気もしますね。
読み終わったあとに、心にスーっと入ってくる事が多くなって来ましたた。何か、心が喜んでるのがわかり…、そんな瞬間が嬉しくもあり、幸せを感じています(*^^*)。
愛(繋がり)を感じて、愛を生きる。緑の木々の様に、清々しい気持ちになりました。
みさこさん☆
>愛(繋がり)を感じて、愛を生きる。
コメントを読ませて頂きながら、私もとても清々しい気持ちになりました(^^)
繋がりを感じられている時は、本当に全体(森)を感じながら
個(木)としても楽しめている、そんな気がしました。
全体が森、個が木。とってもわかりやすいです。コメントからも学ぶことばかりです。
今日は、月や星が綺麗です(*^^*)。
これからもうひと踏ん張りお仕事です(笑)。深夜の天体観測。楽しみです。お休みなさい^^
みさこさん☆
お仕事もおつかれさまです(^^)
日々の生活で美しい自然を楽しみ、
ワクワクを膨らませながらいきたいなと感じさせてもらいました♪
「日々、小さなことに心を痛めて、孤独感を全身で感じて、おろおろしてしまう」
まさにその通りの日々で、ほんとうにそうだなと思います(^^ゞ
だからこそ「繋がり」が深い意味をもって感じられます。
それが命の意味を考えるきっかけ、森を見るきっかけになりますね♪
聖弥さん☆
そうなんですよね、孤独感を感じてしまう時は、
繋がりを感じていこうという、より広い視点を持っていく
きっかけにできたらいいですよね。
孤独感を分かるから、ひとつに繋がっている喜びが本当に
体験できるのかもしれません(^^)