経世済民とは、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)ふ」の意味で、経済の語源となった言葉だ。ところが、経済という言葉から愛をイメージ出来る人は少ないだろう。
率直に言って、お金には汚いイメージがついて回る。もちろん、政府は国民のために経済を回そうとしているが、ともすれば他国との奪い合いになったり、特定の層への利益誘導になりがちだ。
本当の経済が、世を治め民をすくう事なら、実際の経済は、限られたパイの奪い合いになってしまっている。問題は、誰も得をしていないという事だ。
一見、貧しい者に分配する事は良い事に思える。しかし、金持ちから奪うという発想だとうまくいかないだろう。自分は奪われているという発想でも、猜疑心の塊になってしまう。
世界は疑心暗鬼に満ちている。なぜか。そこに愛が無いからだ。愛が無いからよどむ。自分のところに貯めこもうという発想になる。そして回らなくなる。動脈硬化をおこして末端が壊死に陥る。心臓(ハート)が機能していないのだ。血流を流したところで(経済対策したところで)、その場しのぎでしかない。
経済というのは支え合う事。お金は本来愛だが、愛として使われていない事が問題だ。例えば、お金を払う時に、サービスに対してありがとうという気持ちで使う事はいつでも出来る。
そして、愛の範囲が問題となる。世界をひとつのクラスだとして、クラスの中で仲間外れにされている人がいたら問題だ。だから、全員が愛の中に収まっている事が大切になる。クラスぐらいなら、ギリギリみんな仲良く出来るかもしれないが(それもかなり困難な話だろう)、世界となると不可能だ。世界中のすべての人を気にかけられる人間は存在しない。
だからこそ、大きな愛が必要になる。大きな愛が無いから経済が回らない。地球規模の循環が起こらない。政治家や学者だけで何が出来るという話。もちろん、彼らの役割は小さくない。しかし、人間の力だけでなんとか出来ると思うのは傲慢だ。
愛じゃごはんは食えないと言うけれど、愛が無いからごはんが食えない人が出てくる。
世を治め、民をすくうのが経済だとすれば、それは大きな愛の業。全身のすべての細胞に血液が行き渡るには、世間にありふれた愛ではなく、心臓(ハート)に目覚めなければならない。勇気を持とう。
愛に目覚めた人は、こちらからどうぞ。
お金と愛が結び付けば汚いイメージは払拭されそうですね
(本来、綺麗も汚いもないのかもしれませんが)
そこに愛があれば、流す方も「奪われる」ではなく「与える」の意識でやれそうですね
本当の平等は大きな愛が無いと不可能じゃないかなと改めて思いますね
ミラクルさん
>本当の平等は大きな愛が無いと不可能じゃないかなと改めて思いますね
愛が無いと凸凹ですしね。与え合う事が自然になるには、究極の愛が必要ですね。
>世を治め、民をすくうのが経済だとすれば、それは大きな愛の業。
大きな愛はすべて解決しますね
しかし そこに辿り着けるのはまだ少数ですね
だんだん広がると良いですね
本来の入口を教えて上げたいです
みのるさん
大きな事を成すのは大志を内に秘めた人達ですね。入口はそんな人にだけ分かるようになっているのかもしれません。
愛を分からずに人間の力だけでどうにかしようとすると
本来の流れが回らなくなるのでしょうね。
TORUさん
もともと愛のためであったけれど、いつしかまったく違うものになってしまいました。大きな愛の目的が必要ですね。
経世済民、経済の語源となった言葉なのですね。
語源から見つめ直すと、また理解も深まります。
地球規模の愛の循環、本来の世界がイメージされました(^^)
弘美さん
英語のエコノミーにはこのような意味はありません。お金の使い方として、世のため人のためという意識が江戸時代の日本人からあったという事ですね。
経済の語源が愛の流れになっている経世済民。
漢字を紐解くと愛になる事に感動です!(^^)
大きな愛の中で目覚めると
この世を心豊かに楽しめる記事をありがとうございます☆彡
美和子さん
漢字も中国に逆輸出されてるみたいですね。日本から愛の流れが起こっているのでしょうね。
経世済民 なれない言葉ではありましたが
こちらの記事と言葉から 大きな愛が必要な理由が
よく分かりました
人に不可能と思われる思いやりという愛は
ちゃんと大きな愛を招き入れることで解決するのですね
あやこさん
お金と愛を両立するのは大きな愛抜きでは不可能なんですね。