解釈の違いを超えて これを愛と認め みんなHappy 


共通の愛はある
解釈の違いを超えて 共通の愛を迎え入れる

解釈の違いは大きく分けると2つになる 簡単に「創造型」か「破壊型」だ
その違いは「認める」と「否定」によっても現れる
解釈の意味するところはこれに尽きるのだ

人類が一目散に取り組むべき解釈

〇事実からの問い

わたちたちは様々な解釈の違いを共有して

ひとつの世界に生を受けた

これは事実として見られる現象だろう

この世界を「量子力学」や数式のない哲学に当てはめるのも分かりやすいことだろう

しかし本当に世界はひとつとして繋がってゆくのだろうか

つまりひとつの世界はこのまま現れ続けやがて

それは完全な存在として謳われるようになるのだろうか

そう解釈の違いによって現実はすぐに変化するのだ

科学が古来から課題としている「世界のありのままの姿を本当の姿」とし

それを追い求め探求してきた

〇現実からのヒントと答え

それは誰も今という現実を考えれば答えは分かる

その現実をどのように解釈してゆくかそれがキーとなるのは言うまでもない

わたちたちは今

輝かしい時代に突入した(歴史から授かった知恵や知識を振り返りこのように解釈する)

そしてそれは本当に宇宙空間というわたしたちの認識が理解できる

この空間(トキ)によって始まるのだ

〇答えの為の科学からの解釈

科学を見てみよう

人の脳裏はこの学問が殆どを占め

それによって納得したものがいい解釈になるとされる

しかし本当にそれでいいのだろうか

果てない宇宙にはこの1つの学問を全て使っても

きっと全てのことは気付かれないだろう

科学1つでは真理探究の学問にすらならないのである

そう「道具主義的な学問」となる

しかしこれも本当に何のための道具とするのかを解釈してゆく必要がある

〇法則が発見され創られてきた理由

そう

愛という本質だけは分かれた学問には限界になる

限界には発展がない

いわゆる全てには到達しない

そして愛の本質を分からないゆえに

次々に新しい法則が存在するようになる

法則にも色々あってどれが正しいのかなんて誰もわからない

ある意味それは本当に人類の役に立っているのだろうか

答えは YES だ

しかし本当にひとつという世界(この世界)を役立てようと(為に存在させようとするのなら)

全てを表す数式、あるいは法則が要る

そして愛を簡単に表せる(理解できる、体験できる)感じになるだろう

必ず

〇この存在(愛)をどのように解釈するか
それだけで全ては満ちた

人が今、解釈するべきものは「神(愛)」だ

この解釈のされ方で人類の未来は説かれる

いつまでも宗教という特別の世界だけが取り扱う存在にしていては

人類に希望はない


わたしたち人類は認められたいと常に思っている

その欲求から様々な世界へと分離し闘争が生まれた(苦しみや悪が)

その思いから逃れるには愛を解釈し認めることなのだ

それはもう分かっている

いま分かれている学問を総動員して解釈をまとめ

共通化し体験する時だ

そしてそれを認め動きだす時だ

後はこれを目にされている方がどのように神という愛を解釈し

源(本質)にしてゆくかだ

神は源(愛の本質)という解釈だ

あなたの知っている法則や数式を思い出してほしい

そしてあなたが好きなものあるいは得意な分野でこの言葉を解釈してほしい

(知らない人は知らないままでHappy、大丈夫だ)

それをどのようにしてどこに向かわせるのか?

これは命の源 愛の源 あらゆる全ての物の源

全ての始まりそして帰るところだ

本当に目的を「真の為に」を極め人類が悦に向かうのならば

人類全ての幸せに通じる

解釈の違いはひとつになる前兆

 

愛と向き合う
真理探究より愛を迎え入れるという解釈

 

様々な人の数だけあるような解釈も

そもそも大きく分けると2つになる

解釈の方法はすべて創造型か破壊型かだ

言葉を変えると認めるかもしくは否定かだ

現実という目の前に起こっていることはすべて

観念という信じたことによって顕れ成り立っている

それぞれの信じた観念によって理解の仕方や解釈が変わり

ひとつの世界すらバラバラのように見えてくる

それが現実となって表れ戦争が始まる

これは人類が出した1つの事実としての解釈になっている

それが理ならば

共通にしてそこに在るわたしたち人が考える命が生まれてくる理由や真実

成り立ち

だから・・・つまり愛

それを楽しんでみようと思える何か

そこが在るという解釈(思い)があれば

それを調べることが早いとなる

〇在るべきものを考え意識として取り組む

ひとつという世界の理由や真実

それが「在る」という解釈

楽しみや喜び

学びや笑い

本当に共通させるひとつの愛

そこから目を背けていては真の為には生まれない

目を開いて「真の為にがある」という解釈へ!

わたしは愛を創造型から解釈し

喜びでもって体験を選択し、世界中をHappyにしてゆく真の“為に”の活動に参加します!』

世界を考える 愛の世界 悟りの世界 喜びの世界!

 


あやこ について

世界中を愛で満たすのが大きな夢です。 愛の世界が感じられるように愛(源)のメッセージを 言葉でダイレクトにお伝えしております。 メールで気軽に行える「愛(源)との対話メール」お勧めです(^^)

6 thoughts on “解釈の違いを超えて これを愛と認め みんなHappy 

  1. 人が今、解釈するべきことは、
    「神は愛」
    色んな事を教えてくれる源の神様に感謝します。
    記事を読み終ると、ちょっと泣けてきました。源の神様も、嬉しくて泣いてるのかな(笑)。

    スタッフの皆さんのHPを少しづつ読んでいました。心が愛でいっぱいです。ありがとうございます。

    1. みさこさん、早速のコメントありがとうございます(^^)
      宗教では信じることで救われてきたようですが
      人として神を愛として迎え入れるようになった時代(いま)だと
      様々な学問からでもわかるように
      それを楽しめる私として在りたいと思うこのごろです(^^)
       みさこさん、共にますますよろしくお願いします☆
      HPの感想等もまた頂けると嬉しいです(^^)v

  2. 真理を求めるということが、いつの間にか
    大きな愛を知るのではなくて、
    一人よがりになっていたのでしょうね。

    源を知るということは、親を知るようなものでしょうか。
    科学もまた子だということを思い出す必要がありそうです。

    1. 天大さんコメントありがとうございます。
      なるほど。自然と感謝からのスタートでないところから始まると
      真理探究というのは一人よがりになりやすいようですね。
      都合のいい自分の価値観だけを見るようでもあるからなのでしょうか・・・
      やっぱり源という大元を軸に据えなくては
      なかなか難しいものもあるのでしょう。(^^)
      >源を知るのは親を知るようなもの。
      >科学もまた子。
      世界が知っていることを思い出しているのが今ですね☆(._.)☆
      面白い時代です。

  3. 「愛という本質だけは分かれた学問には限界になる」

    愛の本質がよくわかる表現だと思いました。
    分かれてバラバラに存在しているのではなく、分かち合っているひとつである。
    学問もそれを前提とすれば、愛はようやく解釈され、本来の「為に」もっと楽しめるものになりますね(^^)

    余談ですが、タイトルの「Happy」から昨年大ヒットしたFarrel Williamsの「Happy」が思い出され、指を鳴らしてノリノリな気分で楽しく読ませて頂きました(笑)

    1. 聖弥さん、コメントありがとうございます。
      タイトルにHappyを付けたのはふと思って、
      その時、心地よかったのでそのままつけました。
      楽しんで頂け甲斐がありますね~(*^_^*)。
      ありがとうございます。

      >「愛という本質だけは分かれた学問には限界になる」
      >愛の本質がよくわかる表現だと思いました。
      よかったです(*^_^*)
      ほんと、学問も愛を分かち合っている一部という解釈で初めてみると
      本来の目的である為にという形になってゆくのが分かりますね。

      ここのブログの記事のどこだったか「悟り体験」に関する
      みのるさんの記事だったと思うのですが
      一気に頂上までエレベーターで上がる方法が
      源の愛に繋がるのがベストとありました。
      この世が早くにひとつになるということは
      源や神を迎え入れるか、わきに置いてしまうか
      だけかもしれませんね(^^)/

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