今回、見つめてみたい言葉は「中道」です。
仏教からくる言葉でもあるようですね。
中道だから「真ん中の道」かな?なんてイメージもあったりしましたが
併せて、ブッダが悟りを開くまでの道を見つめるのも興味深いですね。
信じた道の体験の中で
元々、王家に生まれ何不自由なく生きてきた人生であったブッダが
誰しも避けられない生・老・病・死という現実苦を見てその苦しみの解決のために
29歳でその地位を捨てて出家。
当時の修行の主流であった苦行こそが大事だと考えてそこに身を投じること6年。
それは一見、今までと真逆の道を選んだように見えます。
ただ、物質的な豊かさや快楽を求めても、それはすぐに慣れてしまい、
そこに深い安心や喜びを見出すために、もっともっととなってしまうのは、
何となく分かりますね。
では苦行であったら、心身を苦痛に追い込むわけだから、全く違うように思うけど
それもまた、身体が慣れてしまって、もっと必要なのではないかと、
追い込みすぎてしまうこともあったようですね。
意外と極と極をとっても、同じことかもしれませんよね。
ブッダも苦行を辞めてから、悟りをひらいたと言われているのも興味深いですね。
ちなみに『岩波仏教辞典』には「中道」の意味は次のようにあるようです。
「相互に矛盾対立する二つの極端な立場(二辺)のどれからも離れた
自由な立場(中)の実践のこと、
(中)は二つのものの中間ではなく、二つのものから離れ、
矛盾対立を超えることを意味し、(道)は実践・方法を指す」
中道って、中間ということでもなくて、極端な立場のどれからも離れた自由な立場
それらを超えた立場というのが面白いなと感じます(^^)
中道はむしろ、超越道とも言えそうなイメージでしょうか。
大きな繋がりを表現し生きる世界
私達は肉体を授かってこの世界を生きているわけで、とても大切なものです。
それを豊かに調えながら、
眼に見える世界だけに必要以上に拘ったり執着したりしなくなれば、
もっと深い安心感の中に軽やかに生きられるかもしれません。
その上で大切なのは、目に見えるもの、見えないもの、どちらかではなくて
両方を一つにしていける生き方かもしれません。
「中道」を生きるとは、「仏の心を持って俗世を生きること」
できるだけ「仏の心・仏の智慧に近づいて生きようとすること」
ではないかと考察される方々もいて面白いなと感じました。
私も大切なことは、やはり人生を貫く「生き方」であると感じます。
何かを得て、どういう環境であったら喜べるというよりも、
存在自体に愛を感じ、大きな繋がりを感じ、
その光の中を生きられる今を思う時、どんな瞬間もまた貴重ですね。
そんな繋がっている喜びの世界を表現していけたら、
私達は今まで学んできた古来からの知恵や気付きも
感謝とともに実を結ぶことができるのではないでしょうか。
ぜひ、大きな愛を形にする未来、こちらからもご覧くださいね☆
あやこさん☆
なるほど、実は奥が深く、かっこいい言葉(^^)
新しい世界を感じますね☆ 矛盾対立を超えていく道。
>存在自体に愛を感じ、大きな繋がりを感じ、その光の中を生きられる今を思う時、どんな瞬間もまた貴重ですね。
それにはブッダのように瞑想して光りを感じられる場所が増えているこの時代の波に乗るのもひとつの方法かも知れませんね
みのるさん☆
瞑想をして光を感じられる場所が増えていますね。
大きなチャンスがきている今なのかもしれません(^^)
極と極をひとつにすると中道に辿り着くかもと感じました
この記事を読んで、バランスよく楽しんでいきたいと改めて思いました(^^)
ミラクルさん☆
極と極をひとつにする、とても興味深いです。
究極のバランスというのも分かっていきたいです(^^)
偏りすぎるとバランスを崩してしまうように
目に見える世界も目に見えない世界も
バランスよく整えて行きたいですね。
TORUさん☆
本当ですね(^^)
目に見える世界と目に見えない世界とのバランス、
大事にしていきたいです☆
>中道はむしろ、超越道とも言えそうなイメージでしょうか。
中道の中という文字は
四角をひとつの線が貫いてるから
超越できてひとつになる道をイメージしながら
大きな愛を形にする未来を創造したいと思いました(*^^*)
美和子さん☆
超越できてひとつになる道
興味深いお話をありがとうございます(^^)