諦観とは 大きな愛の視点から世界を見つめ直す事


諦観とは
諦めれば諦めきれないものだけが残ります

諦観とは、悟りの境地に立って本質を見極める事を指します。「諦」は仏教で真理を意味します。諦めるとは、「明らめる」から来ているんですね。

諦めにはふたつの意味がある

諦めには、一般的に言われるネガティブな意味の諦めと、ポジティブな意味の諦めがあります。ネガティブな諦めとは、夢を諦めたり、自分の今を否定する事です。ポジティブな諦めとは、仏教で言うなら執着を捨てる事です。しかし、執着を捨てる事は簡単ではなく、悟りに至る人もほとんどいません。もっと素晴らしい生き方が見えない限り、今までの生き方を簡単には変えられないのです。

大きな愛をみる

諦(明)らめるとは、真理を明らかにする事です。真理は、大きな愛や光を見通す心です。知識や頭では分かりません。

大きな愛や夢は諦められるものではありません。そして、本当の愛と、目の前の小さな事を同時に掴む事は不可能です。悟るためには、大きな愛を見る必要があります。

もうひとつの悟りは、自分には大きな愛は掴めない、目の前の小さな事すら捨てられないと諦めた時に訪れます。

頑張って頑張って諦めるんです。愛を見ようともせずに諦めるのは良くない諦めです。大きな愛や夢を見ようとして、自分一人の力では出来ないと諦めた時、「開き直り」や「新しい世界」が見えてきます。

諦観とは、本質を明らかにする事です。大きな愛を見ようとする事で、初めて本質が見えてきます。

愛を分かるだけではなく、大きな道を歩んでこそ本物の人生です。

大きな道を分かりたい方は下記からどうぞ。

ひとつの世界を創っちゃおう!


12 thoughts on “諦観とは 大きな愛の視点から世界を見つめ直す事

  1. 諦観
    わたしにとって聞きなれない言葉でした
    でもこの記事はすごく分かりやすかったです
    大きなものを掴むために 諦めてゆくもの
    それはきっと道を歩むための財産になるのかなと思いました(^^)

    1. あやこさん

      理解する事を諦めた時に、光明は見えてくるのかもしれませんね(^^)

  2. 頑張ってたのを諦めるのは大変ですね でも必要ならその道は全うしないと
    一方 必要でなさそなものは 早めに気を逸らして 大きな目的(愛)等に没頭している間に 更に必要性を感じなくなりますね

  3. 諦めるとは、「明らめる」から来ているというのが、興味深いですね。
    本質を明らかにできれば、自ずと必要なものは既に与えられているのだと気付きそうですね。

    1. 弘美さん

      >本質を明らかにできれば、自ずと必要なものは既に与えられているのだと気付きそうですね。

      まだそこまで至らずです。明らめるの本質がライティングなら、いい感じに浮かび上がって来そうですね。

  4. 諦観からシンプルに本質と大きな愛の世界が
    明らかになる事がよくわかる記事に
    大きな学びと深い喜びを感じました(*^^*)

    1. TORUさん

      執着がなかなか捨てられないのですよね。執着というか本当にやりたかった事を思い出すと良さそうですね。

    1. ミラクルさん

      本当の夢が見えている人だけが、それをやれるのかもしれません(^^)

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