無償の愛とは、見返りを求めない愛の事です。無償の愛という言葉からは、親の子に対する愛情が思い浮かびます。相手が愛おしくて、損得抜きで尽くすような場合です。そうは言っても、上手くいかないと腹が立ったりしますね。
昔は大変だった
無償の愛の本来の意味を考える上で、避けて通れないのはイエス・キリストという人です。その時代に、誰にも理解されない事をやるのは大変だったと思います。無償の愛の根本にあるのは、目の前の人に嘲られても、私は愛を生きるんだという姿勢です。すぐに結果を求めるのではなく、10年先、20年先、あるいはもっと先。相手の将来を思って行動する。それが無償の愛です。
無償の愛は、思う通りにならない相手に対して、私は愛だけを見ます、結果が出るか出ないかで態度を変えませんという姿勢なんですね。
目的(ブレないこと)が大事
大事なのは、自分自身が愛を生きる事です。目的がしっかりしていると、その目的に合わせて環境が動きます。協力してくれる人が出て来ます。
人生は思い通りです。うまく行かないと思うと、その通りになります。偉そうに書いていますが、私自身が証明していました。それを打破するには、本当にやりたい事を優先し、やらなくてもいい事を止める事です。紙に書き出してみるのも有効です。やれば即効性があります。ボール球を投げるのをやめて、ストライクゾーンに投げればいいだけなんですね。やりたい事をまっすぐやっていると、天は協力してくれます。自分自身が迷っていると、天も協力しようがありません。
例えば、美容師だったとして、お客さんが髪型を決められないと、この人はどうしてほしいんだろうってなりますよね。希望がはっきりしていれば、スムーズに事が起こります。
自分(あい)が大事
そんな風に本来の愛は、無償でも無条件でもなく、うまく循環するように出来ています。
人に期待するよりも、自分が何をしたいかです。自分が愛として生き、やりたい事をやっていればOKなんです。
愛であればOK
テストで何点取ったとか、人がどれくらい好いてくれているのかという事は問題ではありません。私が今、愛であるという事が大事です。愛である今がすべてだと分かれば、自分や人に点数をつける事なく、いつもただ楽しむ事が出来ます。
無償の愛というのはなかなか出来る事ではありませんが、愛そのものとして生きていると、自然とそういう振舞いが出来ている自分に気づきます。親切にしようと思って親切にするのではなく、体が先に動くようになります。人からの親切にも気づきやすくなります。
損得を考える愛、損だけど我慢する愛というのはムリが来ます。愛である事そのものが楽しくなってくると、野に咲く花のように、見ている者がいようといなかろうと楽しむ事が出来るようになります。
現代の日本に住む私達は、自分のやりたい事を選ぶ事が出来ます。一歩前に踏み出す。それを繰り返せばいいだけなんですね。
もともと愛なのであれば
自然でいることで
無償の愛は発揮されそうな気がしました(^^)
ミラクルさん
自然が一番ですね。自然にも春夏秋冬の姿があり、それぞれの強さ、美しさがあるんですね。
日常的に考えていると その場面に来たとき あっそうだと気付き易いかも
みのるさん
確かに親はいつも子の事を考えていますね。日常的に考えているから、その場面で瞬発力が出ますね。
愛であること、そのものを楽しむというのは、本当にそう在りたいですね☆
本来の流れにのって、素晴らしい未来が見えてきそうです(^^)
弘美さん
たぶんスイッチの入れ方なんでしょうね。楽しんでやっているか、あがいてやってるか、やりたくない事をやっているか。いつでも愛だと気づけば良さそうです。
愛でいるとシンプルで軽やかに楽しめているのですね☆
無償の愛へ自然に繋がるように(*^^*)
美和子さん
無償の愛とか考えなくなるのかもしれません。そうする事が自然なんですよね。
自己犠牲的になるのではなく
愛だから行動する。
やりたいから行動する。
それが愛の循環になる感じがしますね。
TORUさん
確かに、無償の愛というと損する、大変、マネできないみたいなイメージがありますが、やりたいから行動すると思うとシンプルですね(^^)
無償の愛のすばらしさに改めて気づかされました
目的をもって わたしは愛であるの姿勢で生きたいものですね(^^)