善行を積む ひたすら徳を積むことに生きがいを 役割を果たしに降りて来たかも 精神が魂が成長するであろう
善行を積む
功徳(くどく) 一般的には日常では聞かない語句ですね
しかしながら 仏教界 ではよく使われてますね
徳を積むこと(善行を積むと言った方が分かり易いかも)
それと 他人の喜びを一緒に喜ぶのも 徳を積むことに
「功徳」とは
1 現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根。「—を施す」
2 神仏の恵み。御利益 (ごりやく) 。
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いわゆる 徳を積む ということがよく言われています
ひたすら徳を積むことに生きがいを
そうすることによって 運が良くなったり お金に困らない
病気にならない と説く面もありますが そのようなことを「目的」として信じ進めても御利益はありません 錯覚してしまうものですが 気を付けた方が良いでしょうね
「功徳を求めれば 功徳なし」と言われていますし
無理に求めても良いことはありません
人の功績を喜んで上げることも功徳を積むことになりますが
珠に 嫉妬 嫉み がどうしても湧きます これは 脳というより
魂の未熟さかも知れません 又は主張 かも知れません
だからこそ 目的を お金持ちに成りたい等と決めないことです
ひたすら徳を積むことに生きがいを感じたほうが良いかも知れません
役割を果たしに降りて来たかも
それより 人間社会に生まれて来た目的というものがあります
お金持ちになりたいという目的でわざわざ降りて来たかも知れませんが
その為の学校 職場 を目的に生活しているのに
功徳を積めばお金持ちになるという目的に
変えてしまったら元も子もないですね
社長になりたい きっとお金持ちになれる 弁護士になりたい
きっと社会に大きく役に立つ
政治家になりたい 徳を積もう 立派な政治家に成りたい
といっても 徳を積めばそう成れるというのは プロセスが狂うことになります
魂は 未熟な部分を成長させたいのかも知れません
役割を果たしに降りて来たかも知れません
精神が魂が成長する
そういう訳で ここでは 何が言いたいかと言いますと
降りて来た 目的が 自分の為ではなく 自分は思うところで努力するから 人の為 社会の為 日本の為 世界の為と
外に向けたい人 が 徳を積んで頂ければ 精神が魂が成長すると思うのですが
そうすすれば 社会の為 になり いつか自分の為になるかも知れませんね
ところで「功徳を積む」 良いことだと思います が
目的を 「愛の世界」 の為にすると もっと世界の為になるかも知れません
何故なら 個人ではなく 社会 世界の為になるからです
自分だけの幸せは無い
回りも幸せにならないと 自分の幸せはない
急に こんな話に乗れないよ!
良く分かります
何年も掛けて 体制を整えてからでないと おいそれとは乗れません
しかし 準備が整った方は 来て頂ければ 丁寧にご案内します
参考に先ず 下記をご理解頂けるところからお願いします
仏教って不思議で、ブッダが何を考えていたんだろうと思うんです。今の仏教とは少し違うのでしょうけれど、分からない。本当はブッダがどんな人だったかすら問題ではなくて、そこに想いを馳せる事で愛の世界に繋がる事が大事なのかなと思いました。
そうですね
後世の人が時代や環境によって解釈を変えているのが分かりますね
「愛の世界に繋がる」と良く分かりますね
徳を積むにしても愛の世界を意識すると
ひとつを感じられ本来の楽しい人生が
始まるんだなと思いました☆
現代社会に於いては 愛の世界から考えると良いですね