神。目に見えない存在。あるいは魂や気など。神の存在は、見る事も、測定することもできないため、非科学的なものと考えられがちです。でも、見えないものは存在しない。この前提は本当でしょうか。
一番簡単な物理法則の運動方程式で確認しましょう。
質量×加速度=力
この式の中で、直接確認できるのは、質量だけです。例えば、車が動いている時、車は見えますが、力は見えません。車の動きから間接的に計算することができます。
このように、物理の公式はすべて「測定できるもの」と、「直接は測定できない働き」からなっています。
「測定できないものは存在しない」というよりむしろ、発想の転換をしましょう。
測定できないのは本質なのだと。
これまで、本質を見誤っていたから、答えにたどり着かなかったんですね。
パソコンだと、画面に表示された結果が「物」にあたります。対して、内部で行われている計算が目に見えない働き、すなわち本質です。
命は動く物体?ですが、目に見えない働きこそ命の本質なのです。
物理が物体に関する法則なら、物理をも内に含む法則があります。それが愛や真理です。
真理を具現化したものが物理、だから、矛盾はありません。例えば、光の速さが一定であるのは、変わらない真理を表しています。
真理とは普遍的なものです。自然をみて、愛をわかるように、科学でも、同じことができるはずです。
科学が、本当に愛を分かるのはこれからでしょう。
それでは、この目に見えない働きを、感じる方法はあるのでしょうか。
その答えは、「考えるな、感じろ」です。愛や命が、目に見えない働きの本質です。
よく、愛は脳の電気信号が生み出した幻だとか、命は有機物の塊にすぎないといいます。でも、心が少し穢れたような気がしているはずです。
神も気も愛も命も、その存在は目では確認できません。それでは、どうやったら見えるのでしょうか。
この世界は目に見える物と、見えないけれど大切なものから成り立っています。
見えるものは、五感で、見えないものは、見えないもので見るのです。心の目ですね。
愛は愛で、命は命で、感じられるようになっています。人を愛すれば誰でもわかることでしょう。
本当に大切なものは、心を開いたときに、
初めて見えます。
五感や計測機器が物に対するセンサーなら、愛こそが見えないものに対する唯一のセンサーです。
見えないのではなく、目を閉じていたから見えなかったのです。
最後に、神や我々の存在を証明できるのかということについて。
人間は愛や命について悟り、宇宙の仕組みを知ることはできます。
でも、そもそもなぜ存在するのか、という事に関しては、決して知ることはできないでしょう。
ただ、我々は存在する。命は存在する。神=愛は存在する。なんですね。
「見る」とは否定ではなく、肯定からはじまります。愛するとは、認めることです。
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面白いですね!
これも視えないところからですね(笑)
みのるさん
ありがとうございます。
視る目があれば見えますね(笑) 誰でも。
あやこさん
真実を見れば、必ず分かってきますよね。
このブログが、参考になると思います。