
止まない雨はないといいます。実際に雨の中にいると、気休めのように感じます。でもこれって本当なんですよね。
生きてさえいればいい事ある
何をやってもうまくいかなかったり、絶望したり。裏切られる事や、ひどい目に遭う事だってあります。挙げればキリがないですね。そんな時は、何もかも気休めや嘘に聞こえてしまいます。
でも、生きてさえいれば、良かったと思える日は必ず来ます。
愛の深さを体験している途中なんです
ジュピターという曲の歌詞にも
愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない
とあります。これは本当なんです。
つらくて、苦しくて、仕方が無い。その分、大きな大きな愛が分かるようになっています。人の気持ちがわかるようになります。
体験しなければ分からない
私達が、地上に生まれた意味は、愛を体験する事です。私達は、大きな愛を知っています。でも、知っているのと、実際に体験するのとでは違います。
愛を胸に
種を蒔き
耕して
最後に収穫するんです。
収穫の時には、たくさんの事が分かるでしょう。困難が多いほど、喜びも大きくなるんですね。
愛は自然体
そうは言っても、雨(苦しみ、悲しみ)は嫌ですよね。正直、私は都合良く雨を避ける術を知りません。
試練は、成長のために、自分自身が自分に与えるものです。避けようと思うほど、離れてくれません。
だから、大きな愛が必要なんです。ひとつひとつ愛として体験すれば、必要なくなった時に終わります。
もし、苦しみが深くて簡単に越えられないとしても、それは自分自身の愛の容量が大きいという事なんです。
人と比べて、自分なんてと思う必要はありません。亀が兎を越える日もあるというのは、本当の事なんです。
激しい雨もあれば、優しい雨もあります。雨上がりには、目から優しい雨が零れるかもしれません。その後は、ひたすら喜びと楽しさがあります。
年配の方は、柔らかくて深みのある表情をしてますよね。たくさんの体験を経たが故の飾らないカッコよさがあります。
若くてとがっているうちは、本当に人の気持ちを理解する事は難しいんですね。苦労を体験して、大きな愛を分かるようになっています。
だから、自然体でいいんです。もがいて、あがいて、頑張って。でも、最後に愛はそこにあったと気づく。大きな愛はいつも傍で見守っています。