もう無理!限界。これ以上は耐えられない。
部活でも仕事でも、そう思って逃げられる人は大丈夫。
でも、逃げられない人がいる。
逃げることが許されないと感じるときがある。
イジメやDV、パワハラなど、理不尽で耐えがたい強烈な苦痛を経験すると、「逃げたら今よりも状況が悪くなるんじゃないか」という恐怖にとらわれ、足がすくんで逃げられなくなる。
我慢や忍耐を美徳とする文化や社会も、それに拍車をかける。
弱いから逃げるんだ。
だから、
逃げるのはカッコ悪い。
責任放棄だ。
駄目だ。
となる。
或いは、こんな悪魔のような声を信じてしまっているのかもしれない。
「お前は生きるに値しない人間だ。だから、これほどの酷い状況がやってくるのだ。そして、その苦境に耐え、乗り越えなければ、生きる価値はないのだ! ガーッハッハッハッ」
忍耐や謙虚という言葉と縁遠いこの私ですら、「逃げちゃだめだ!」とか「我慢しなくちゃ!」などと自分を鼓舞して、耐えようとしたことが何度かある。
ただ、逃げずに頑張った結果として、「逃げなきゃよかった」こと、「逃げても良かった」と思うこと、どちらもあった。
当時は、結果がどちらになるかは分からないもの、或る意味、運のようなものだと思っていたが、今は「逃げたほうが良いとき」と「逃げなくても良いとき」の二つの選択肢があると分かる。
これが分かるようになってからは、驚くほど人生が楽になった。
そういう意味では、生きることに対して本当に自信がついたと思う。(笑)
私たちは常に選択肢を与えられていて、選ぶことが出来る。
選ぶのは自分。
自分の人生を創るのは、自分。
当たり前のことかもしれないが、これが本当に当たり前だと分かるまでは、細々したことにいちいち右往左往し、現実ではない「思い込み」の中で、一喜一憂(過半数で「憂」)して、無駄に疲弊していた。今思えば、ほんとブレブレだった。(笑)
前置きが長くなったけど、ここからが本題。
じゃあ、いつだったら逃げて良いのか。
「逃げていいとき」は、どうやって判断するのか?
逃げて良いとき。
それは、心から逃げたいとき だ。
「心から」が分かりにくいかもしれない。
簡単に言うと、「心に照らして同調できればOK」ということだ。
わたしたち人間には心がある。
心は目に見えないし、実際はどこにあるのか、どんな形で、どんな機能を果たしているのかは分からないけれど、「心がある」ということを、私たちは知っている。
心がどこにあるのかを科学的・論理的に説明できなくても、心と聞くと「心臓」や「中心」、「あたたかな気持ち・愛」というイメージ・感覚 ~概念~ というものを自然に共有できるのってステキだと思う。
「心」を音読みすると「シン」。
草木(しぜん)の中にある心は「芯」。
また、人が「心」をもつと「信」になり、人と自然が心を介して調和する世界は「真」である。
今、あなたの目に映っている世界は真の世界だろうか?
心から望んでいる世界、あるいはそこへと向かっている世界だろうか?
この問いにYES!と答えられない場合、それは現実ではない。
幻想だ。
だから逃げていい。
どこへ逃げたらいいのか?
それは、心 だ。
人の心は移ろい変わると思うかもしれないけど、本当の心というのは始めから変わらないものだ。
どんなときも変わらずにあるのが、本当の心=愛。
逃げたくなったら、心(愛)に逃げればいい。
そうすれば、「逃げたほうが良いとき」と「逃げなくても良いとき」が分かるようになる。
心から「逃げたい」のか、「本当はやり遂げたい」のか、自然に分かるようになる。
心から納得して、「こっちがいい♪」と選べる時がやってくる。
その先には「ああ、よかった」と嬉しくなれる未来がある。
心(愛)からの選択というのは、そのようになっている。
「逃げたい。でも、逃げていいの?」
判断に迷ったら、心という愛に還ろう。
心はいつもココにある。
SP世界をひとつに https://hitotsu3.jp/
心に逃げていいってすごく安心できますね(^^)
心が芯で信から「真」の世界への言葉も
愛が心豊かに深まり楽しくなりました☆
これからは鬼ごっこで逃げる時、鬼に掴まらず
心(愛)を掴もうと思います♪(^^)v
* 美和子さん *
家に帰るとホッとするのと同じように、心も本来の場所(家)に還ると安らいで、「安心」なるんだよな~(^^) と美和子さんのコメントで思いました。 自然に笑顔になれるお話をありがとうございます☆
選択肢がひとつしかないと、本当にやりたいことも見えなくなってしまう気がします。選択肢を持つことは大事なんですね。
* 天大さん *
> 選択肢を持つことは大事なんですね。
ほんと、選択肢があるから「楽しむ」ことができるんですよね(^^) 変わることのない愛が、変わることができる愛を創造した理由が分かった今、いよいよ楽しむしかないですね☆
>心(愛)からの選択というのは、そのようになっている。
ここはどうするか?!という場合、
心(愛)に聴けば、自分の深いところの神(源)に聴くことになり、想うがまま行動に移る移らないが選択出来るでしょうね。人間の直感が鈍くならない内に、が重要ですね。
* みのるさん *
コメントありがとうございます(^^) 「「心(愛)に聴く」という表現、すてきですね。
> 人間の直感が鈍くならない内に
直感力が磨かれるコツも、「心(愛)に聴く=自分の深いところの神(源)に聴く」ことですね。いつも耳を傾けていたいと思います☆
全てにおいて逃げたくないと思っても、
あらゆるものに平等にパワーを使うことはできないから、選択しているのでしょうね。
その選択の判断基準というものがいつも心にあれば、
あまり迷わずに、自分の願う生き方がデザインしやすいと思いました^^。
* 弘美さん *
> あらゆるものに平等にパワーを使うことはできないから、選択している
なるほど、そういう見方もありますね(^^)
> 選択の判断基準
この基準を表現すると様々ありますが、心の中に持っている基準は同じなんですよね(^^) その基準に素直でいると生きやすくなる。そういう流れをどんどん創っていきたいです☆
迷った時はどちらを選べばよいのか心に聞いてみると
愛の道を選んで行けるようになるのだなと思いました☆彡
* TORUさん *
自分はこれまで何万回迷ったか分かりませんが、それでもまだ迷うことがあるのには驚きます。そして、これから何万回、もしかしたらそれ以上、愛の道を選べるチャンスがあることに感謝したいと思います(笑) ほんとうに 愛 だらけですね(*^^)v
毎回、新しい記事を読ませて頂く事はとても楽しい時間です。
今回「シン」という響きから
あまり馴染みのなかった
芯という漢字の在り方に興味をそそられました。
「真」という意味もまた新たに合点することが楽しめました☆彡
心に従う生き方を常日頃から心がけると人生は愛として動き出すのですね(^^)
そんなことを思い出させてくれる素的な記事をありがとうございます。
あ。写真、とって可愛いですね。
みかんかしら(^^)
* あやこさん *
ほんと、新しい記事を見つけるといつもワクワクして、美味しい物を今食べるか、最後にするかで悩む時のような気持ちになります。
コメントありがとうございました。季節を終えたみかんの笑顔で、春へと完全にバトンタッチです(^^)
心(源)に還る。事を思い出した感じです。
* みさこさん *
思い出せるってすてきですよね☆
忘れるから思い出せる。
そして、またその心地よさや温かさを感じられる。
いつも同じだと違いが分からない。
還る場所を知っているから、安心してまた大空へ飛び立てます(^^)