達観には、目先の事に惑わされず真理や道理を悟るという意味と、広い視野で物事を見通すという意味があります。この二つを両立するコツをご紹介します。
目先の事に惑わされずに真理を悟るには
頭を使ったり、行動したり、人生経験を積んだり。こうした事も役には立ちます。しかし、本物にたどり着く事は難しいでしょう。自己の経験だけだと、人生かけても予測できる範囲内の収穫しか見込めません。
達観には、物事に動じないという意味があります。これは、良い意味でもそうでない意味でも使われます。どこか冷めていて、割り切っている。こういう意味でも使われますね。良い意味での達観は、「究極の愛」をやると分かるようになります。
物事の本質とは、大きな愛の事です。常に愛を見通せるのが、本当の達観です。大きな愛と繋がっていると、小さな事に動じにくくなります。いつでも愛に還る事が出来るようになります。
広い視野で物事を見通す
達観には、視野が広いという意味も含まれます。
たくさんの本を読む、旅に出る、経験を積む。そういう事も大事ですが、もっと大事な事があります。それは大きな愛の視点に立つ事です。私達の周りにも、愛の心に溢れた人がいますね。そういう人は単に性格が良いだけではなくて、愛に意識を向けたり、愛から行動する事を何年も続けて来たからそう見えるんですね。つまり、本当の達観した人は冷めた人ではなく、温かく、かつ愛という根っこのしっかりした人の事なんです。
愛はたくさんあるように見えますが、本当はたったひとつです。すべての中にある本質をひとつとして見ようと出来ると、愛の世界が見えてきます。
大きな愛を分かるだけでなく、やってみたい方は下記からどうぞ。
>すべての中にある本質をひとつとして見ようと出来る
大きな愛をやることは ひとつの世界に繋がりそうですね (*^_^*)
あやこさん
大きな愛が、ひとつの世界そのものですよね(^^)
>いつでも愛に還る事が出来るようになります。
日々、生きていく中で色々と体験しながらも、
いつでも愛に還ることができるというのは、達観した姿を感じました(^^)
弘美さん
いつか還れるかもしれないではなく、いつでも還れるというのは安心感が違いますね(^^)
達観してる人は凄くて遠い存在なイメージでしたが
実は 大きな愛のスタンスから いつも温かく身近な存在として
ひとつへの動きが自然にできるんですね♪(*^^*)
美和子さん
一般的にはそのイメージで合ってる気がしますが、本物の達観は温かい存在なんでしょうね。
大きな愛に目を向け 達観を 行動に移したいですね
そうすれば 本当の意味での ひとつの世界実現ですね(^_^)
みのるさん
観るに達するだけでなく、行動してこその愛ですよね(^^)
本質的な愛が分かっていれば
世の中で経験する変化に戸惑ったり
余計な不安に惑わされることがなくなって
いつも、喜びの中で過ごせそうですね。
TORUさん
そういう観方で生きていると、惑わされてばかりの世間を達観視出来るようになりますね(^^)
生きていると様々な体験がありますが、
想定外の出来事で動じたとしても、大きな愛がある限り、シンプルに還れますね(^^)
ミラクルさん
還る愛があるというのは素晴らしい事ですね(^^)