理解に苦しむ世界に生まれておりますがここで理解の必要性を確認しておくことで
理解に苦しまずに済むことが分かってきます。
あなたは何故、それを理解したいと思うのですか?
理解しようとすることは もしかしたら人生の無駄かもしれません・・・
例えば鏡のように相手を自分として考える、題して鏡の法則は分かりやすいですね。
世界について軽くおさらいしておこうと思います
世界は自分自身で起こしています
そう、当たり前なのですが
すべて考え通りに起こっています
わたしたちはでも「そんなことはない」ということでしょう
それは軽くないと勘違いして
重い筈だと考えをややこしくしてしまっているせいです
そこでその考えを払しょくするために
ここではあえて、4つの方法とし理解をまとめてみようと思います
最後にはきっとそうか、なるほどと感じて頂けることでしょう
理解についてその1
理解すること或は理解したいと思う人は目的ではなく手段だということを知っておく
理解するのが目的ではなくきっと何か他に大切なことが
あなたの目の前に現れたのでしょう
それをしっかり確認することが第一です。
あなたが英語を理解しようとしているとしましょう
でも時間も余裕もない現代で、
あなたは何を優先してその英語を理解しようとしますか?
そう、あなたの目的によって理解してゆく優先順位が現れます
生活のための理解力を付けるのか
受験のための理解力でいいのか
それとも通訳としてプロフェショナルな理解力を身に付けたいのかを
きちんと知る必要がありますね
そう理解するための優先順位は目的によって変わってくるものだということを
心得ておきましょう。
「理解する」ということは目的から生まれるものなのです。
理解についてその2
目的について分からないものは削除せよ
もし、目的が分からないけれど理解したいと感じるのならば・・・・
というより、そういったシュチュエーションが起こりうるかと言えば
「心」を持つ者であるかぎり起こりえます。
いつも目的によって理解したいと願っている私たちではありません。
人というのは心があり、その心というのは何か「感じる」からです
頭で設計を立て、そのために生きる、というそれだけではなく
ただ漠然と、言葉にすれば「面白そうだから」
つまらないことばかりだから、とも言えますね(笑)
理解しようと思う時は一旦、目的が分かるかどうか
それを確認してから始めましょう
目的も分からないものは理解する、理解してゆくというのは不可能です
「理解しよう」というのは頭でしかありません。
心から始まったものを理解しようと始めることは最初に申し上げておくと
時間の無駄にしかなりません。
心というのは既に分かっていてそれを楽しむためにそこに存在しています
そして心は変化してゆくためのものでもあります
喜怒哀楽がそれです。
そして理解とはまた整理できる形でもあると考えます
くどいようですが目的の中に理解があり
そのための理解なのです。
それを思い出してゆく事で
理解しようとして苦しまずに済むことに繋がってきます。
闇雲に理解をすることを始めずに
常にしっかり目的に目を向ける生活を心得るのが大切です。
理解についてその3
目的の中にわたし、自分を映せ
冒頭に、鏡の法則のお話を致しましたね
鏡は映しだされた「何か」を重視して物事に当たらなくてはなりません
もし、鏡に映っているバラの花が枯れていたらそこに水をやらなくてはなりませんね
(鏡ではなく、そこ、バラの花にです。)
しかし鏡自体は意味のないものです
見たいわたしを映し出している道具にすぎません。
わたしが「理解したいもの」も実は鏡です。
しかし重視したいのは常に、鏡に映しだされている「わたし自身」です。
理解の途中で元気がなくなったからと言って鏡に水をかけることのないようご注意を
鏡(理解したいもの)に映っているのがわたしならば
理解に苦しむ必要は最初からないということが分かることでしょう。
理解を進めるのも理解を終えるのも、理解してゆく本人であるわたしです。
理解はわたしの目的のための手段にすぎないことをお忘れなく。
常にわたしの目的、理解しようとした動機に返ってみましょう
それをこまめに意識してやることで最後まで楽しい気持ちを失うことなく
理解を進められます。
分かりやすくするためにちょと例題です。
大学合格が目的ならば、その大学に合格したわたしを映し
合格のための手段である英語を理解してゆくようにすることです
英語を理解しているだけでは本来の目的は知らないままで終わることでしょう。
理解するその4
さて、いよいよ「理解する」という中に突入です
理解する時、人は選択に迫られます。
順調に選択をしている時はいいのですが肝心なのは
迷った時ですね。
そんな時は心がしっくりくる方を選びましょう。
本能、という人もいますが
本能の少し奥に入った心にここでは触れようと思います。
「大きな心で」とよくいいます
その大きな心をいつも意識してゆくことで
自分自身を愛の人格へと導くことになるのです。
大きな心にするには自分が持っている既成概念を外して
自分の心の在るところをイメージして(実際は意識できるところですが)
そこに愛を入れるイメージが分かりやすくいいですね。
自分から愛を入れることによって大きな心がそこに生まれます。
その状態を逃すことなく選択すると後悔のない方向が創られてきます
そのための理解もスムーズに人や物を認めることができるのです
こうして大きな心をイメージできるようにすることで
理解をするための余分な作業から解放され
理解をしてゆく最中にも人生を面白く楽しいものにすることができます。
まとめ
理解は小さな悟りともいいます
完璧に物事を理解しようものならば
理解される側ではなく
理解する側の方に責任があるのかもしれません
理解するのに大切なのは理解する方法より自分のことが分からなくては
せっかくの挑戦も小さな結果にしかならないようです
小さな器では大きなものは受け取ることができません
しかし最初からわたしたち人は大きな存在として生まれてきました
宇宙より大きな愛を受け取る力が具わっているのです
ただその愛が分からないというより分かろうとしない世界がある
そんな理解しがたい世界に居るのですね
理解に苦しんでいる人生におさらばしようとして苦労しておられるのであれば
きっとあなたが本来の愛に理解を求めているのかもしれません
小さな理解(さとり)に苦しんでいる暇はないかもしれません
実は大きな愛が既にあなたを理解しています
その世界が大切に始まる準備にいそしんでいる最中です
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お待ちしております
鏡の法則がわかりやすくて
心すっきりピカピカになりながら記事を拝見しました☆彡
>実は大きな愛が既にあなたを理解しています
これを知っていると安心して大きな心を大切にしながら
理解に苦しむ事なく自分の事も自然にわかってくるから
世界を楽しくする準備が調うのだなと思いました(*^^)v
美和子さん、コメントありがとうございます(^^)
理解に苦しむのなら
理解するだけの価値があるのだろうかを考える。
そんな発想をもって記事になりました。
大きな愛を理解することに自らの目的が重なるようにしてゆくと
やっぱり人生楽しいのですね(^^)
美和子さんからのコメントでまた愛や源の大きさに
目覚めるのでした(笑)(^^)v
>大学合格が目的ならば、その大学に合格したわたしを映し
>合格のための手段である英語を理解してゆくようにすることです
>英語を理解しているだけでは本来の目的は知らないままで終わることでしょう。
何を遣っても続かないとか、身にならないとか思う時ってありました。
そういう時は、目的がはっきりしてなくて、
当然、それが実現した自分を見て(映して)おらず、漠然と理解しようとしていたのかなと。
そもそもの目的や動機を自分の中で大事にしてあげると、
長い道のりのように思えても、楽しめるかもしれないですね。
弘美さん、コメントありがとうございます(*^_^*)
>目的や動機
理解をすることもそこに返ってゆくのだなと
わたしもこの記事を書いてゆく中で知りました(^^)
理解することを望まれる時って
目的や動機が分からなくなると
自分を認められたい
そっちの方にかわり易くて
不純になっていたりしますね
どうして理解するのかを分かって
シンプルな人生で過したいものです(^^)v
何の為にこれをやっているのだろうという
疑問や悩みをいつも抱えていた頃を思い出しました。
目的について分からないものは削除してしまえば
シンプルに本来の道を歩んで行けるのだなと感じました☆彡
TORUさん、コメントありがとうございます(^^)
TORUさん、大きな目的に向かってゆくその楽しさに出合えることを
喜びとして生きる人生
まさしく笑いの中に居るのですね
シンプルなゆえに大きく確かな笑いの道ですね☆彡