「謙虚でいなさい」「謙虚な人になりなさい」 なんて他人にいわれたくはない
でもさり気なく、それを身に付けていたい
だって日本人だし 人として素的でしょう
変わらない本来の謙虚さを身に付けるにはちょっとしたコツがあるようです
ちょっと漢字で謙虚の意味のおさらい
○謙とは
慎んだ態度で心から素直に従うこと。謙にはみちたりて安静な様の意味がある
○虚とは
一般的には中身がなくうつろな様のこと。
思想における虚はつきぬけて空っぽ、即ち、超越した状態をいう。
私心私欲に捉われず静寂であり、※自由無碍(じゆうむげ)の状態である。
思想的な意味での「無」に近い
※自由無碍(じゆうむげ)~なんらさまたげのない様子
(ここは語彙辞典で調べました)
~~~~~
こうしてちょっと漢字でみただけでも謙虚って深いな~と思います。
日本人が得意とする資質に当てはめられるのも納得いく感じですよね。
◎ここではこの謙虚な人になるために
「謙虚さ」というものを探ってみようと思います。
<最初に>
謙虚さをもっているように思われる「謙虚な人」とは一般的にどんなひと?
謙虚な人とは
謙虚な人とは 「低姿勢」 これにまとめられるのかなと思いました。
「低姿勢」と一言でいっても色々ありますね。
ちょっと分けてみます。
〇どんな時でも最初は他人の話や態度を受け入れてみようとする心がある事
どんな時でもというとどうかな、と思うけれど謙虚な人っていつでも冷静で
ふつうここでは怒るだろう、と思われるような時でもまず受け止めてから自分の意見を言う
そんな感じですよね。
〇自分の地位や能力に驕(おご)ることなく学びの姿勢や向上心を大切にする事
言葉を変えると頑張りが利く人、というのかな・・・こういう人を見ていると
勇気が湧いてきますよね☆
余談ですけど「低姿勢」って飛躍するためにやっぱり必要なんでしょうね。
飛ぶ前の準備の姿勢ですからね、当たり前っていえば当たり前なのでしょうが
わたしのように楽なのが好きな人はそれを省きたがって
分かっていてもなかなか選べない姿勢なのかもしれないと反省です。
反省をしたら大事なことに気付いた(笑)
謙虚な人になるために 大事なこと
これは一般的にはあまり言われていないようなのでちょっとワクワクするが
でもそれも単に思い上がりで、ただわたしの目の前に
表れていなかっただけなのかもしれないのだけれど・・・・
謙虚な人というとちょっと大人し愛(おとなしめ)で地位があってこそ活かされるものだと
思っていたけれどそうではないと、ここでも気付いてしまった !
謙虚な人には謙虚になれる理由がある
●謙虚な人、つまり低姿勢で居られる理由がある人
そして、どうせ低姿勢が謙虚な人と褒められるなら
低姿勢で居ることを楽しみたいではないか(笑)
人生いかに楽しむかだ。
と こんなことを真剣に考えている者が書く「謙虚さ」なんて
たかが知れていると思われるかもしれませんが
楽しさこそ人生で 最も追及されるべきものだと思うのです
さて、話が横道にそれたのではなく
楽しく謙虚さを実践する人になるためにと
話を展開しようとしているのだ☆彡w
●謙虚であるとは低姿勢である さらに、それを楽しむ
謙虚さが板についている人はきっとここまでやれているのだろう。
謙虚さが大変にならないコツがあった
<終わりに>
ここのブログをよく読まれいる方ならもうお分かりかと思うのですが
謙虚さを楽しめるようになるには目的が要るようです
それが謙虚さが大変にならないコツです
それも謙虚さを活かせるような自分にはあまりあるような目的がいい
他人に誇れるような、でもやたらといいたくないような(笑)
そんな謙虚でありながら大きな目的がいい
こういった大きな目的を持てれば
それを達成させようと自然と謙虚にならざる負えないように感じる
低姿勢というのはある意味「形」だがその形を創るのは中身だ
中身が肝心で中身がない形は自然と壊れる
本来きっと謙虚な人には謙虚さを持つ意味がある
意味こそ重要で低姿勢というものは意識はしなくても
謙虚な人になれるように思う
そしてそれは雪の結晶のように美しい
落ちては解けるこれこそ真の低姿勢ではないだろうか
てんから舞い降り ゆっくりと しんしんと降る雪の結晶
雪の結晶は雪となり 時を知らせている
それを分かる人にも分からない人にも・・・・
同じように 与えられたその場所を・・・
ここで最初に紹介した漢字にもう一度触れてみたい
○謙とは
慎んだ態度で心から素直に従うこと。
謙にはみちたりて安静な様の意味がある
○虚とは
一般的には中身がなくうつろな様のこと。
思想における虚はつきぬけて空っぽ、即ち、超越した状態をいう。
私心私欲に捉われず静寂であり、※自由無碍(じゆうむげ)の状態である。
思想的な意味での「無」に近い
こうしてみると最初の「謙」は「低姿勢」という形を意味しているのではないだろうか
そして「虚」の方では在り方や真の目的が浮いてくるように思う
こちらで最後に「無」という言葉が出てくるが
ここのブログの「人気記事」でも(こちらは最後にご紹介しようと思うが)
「無」をこの世を意味する言葉として扱っている
<最後に>記事を書き終えて
謙虚という言葉になんとなく惹かれて今回この記事を書くことにしたのだが
ここまで文を勧めながら探ってみて
やっぱりしっかり繋がっている深い世界を意味する言葉だったのだと嬉しい気持ちだ
虚には儚いというイメージを持つこともある
雪の結晶もそうだがこの地上(世)も儚いのかもしれない
そして口編をつけると嘘(うそ)
うそはやっぱり儚いのだろう・・・
しかし究極なその儚さや謙虚さを司る「強さ」というもの
それを知った時、人は真の謙虚さの意味に生きれるのではないだろうか
また日本人はその意味するところがきっとよく分かるのだ
それを謙虚さの中で信じることとしよう(^^)
お花や景色の写真も美しいなと見とれながら、
自然からも学ぶことが多いものだなと感じました(^^)
大きな目的を持てば、謙虚にならざるをえないというのも、
また深いお話だなと感じます。
大自然に溶け込むようなひとつである生き方は、
「自分が」というばかりではない調和の美しさを謳っているようにも
感じます☆彡
弘美さん、また素的な感想を頂きありがとうございます。
雪の結晶のように一所懸命の自分を謙虚に表現できれば
自ずと完璧な調和となって時を知らせることが出来るでしょうね
わたしも去年の今頃に撮った写真を選びながら
雪の写真に目がいって
その内容を思い付いたのですが
ほんとに自然って色々悟らされるものですね
こうしてそれを書かせて頂けることもありがたいことです(^^)
神様は知ってる。源の愛と繋がって愛を生きてる事を。そんな強い信念?から…あらわれる謙虚さは、自然で美しいんだろうな~と思いました。愛の様に(*^^*)。
余談ですが、今日から春の始まりですね☆昨日は、お月様が本当に綺麗でした。今日は、満月。綺麗な夜空を見上げて、ひとつを感じたいですね。
赤みのあるピンクのお花、本当に可愛くて綺麗です。
色とりどりの花を咲かせてくれる源の神様に感謝です。
豆まきして、たくさんの福がきます様に。と願いました(笑)。
>神様は知ってる。源の愛と繋がって愛を生きてる事を。
>そんな強い信念?から…あらわれる謙虚さは、
>自然で美しいんだろうな~と思いました。愛の様に(*^^*)。
自然で美しい これ最高ですね゚+(b゚ェ゚*)+゚
わたしもそうあろう☆ っとw
季節のコメントにも心温まります。
わたしもこの時季のピンク系のお花には特に心惹かれています。
写真は多分、さざんか(もしくは椿)でしょうか。
今年帰省先の空の下で写したものです(*^_^*)
みさこさん、いつもほんとありがとうございます。
あやこさま。
~自然で美しい。朝目覚めるとき、ふっとわいてきた言葉です。
忘れないうちに、あやこさんにコメントしようと思って、早起き??しました(笑)
みさこさんは素的な朝の時間を持たれているのですね(゚∀゚)
早朝は気持ちよく何かとラッキーなことがあるものですよね~♪
お目覚めのときにわいてきた言葉だったとは
素晴らしい筈です(≧∀≦)ノ
あやこさんの記事を読ませていただきながら
月やお花のように優しく微笑む時間や空間も
愛に繋がって謙虚な美しさを感じるから
今日もひとつを楽しく身近に感じて
とても嬉しく過ごしています☆(^^)
美和子さん、ほんとに、謙虚さって
温かなひとつを感じます(*^_^*)
微笑む時間を大切に
わたしもそうあろうと思います。
素的なコメントありがとうございました。