厭世的とは、人生や世の中に悲観し、生きているのが嫌になっているさまの事です。でも、人生に嫌気が差すのは、愛を分かる一歩手前の状態なんですね。
生きていれば色々ある
世の中が嫌になる事は、必ずしも悪い事ではありません。大変なのは一生懸命生きているからです。こんなはずじゃなかった、生まれて来た時は希望でいっぱいだったと思う事はあると思います。でも、今までのやり方に限界を感じた時こそ本当の愛を分かるチャンスです。
世の中を悲観的に見てしまう時、本当につらいのは自分が愛として生きられない事です。だから、大切なのは自分の外側ではなく内側なんですね。
見方次第で世界は変わる
すべては愛です。でも、世界は苦しみに満ちています。その理由は、人の認識にあります。私達は、経験から世界を悲観的に見がちです。そうするとつらい世界が見えて来ます。
見方を変えれば世界が変わります。同じものが違って見えるというレベルの話ではなく、文字通り体験が変わります。
同じところにいても、幸せを感じている人と、そうでない人がいます。単に幸せを感じている人が恵まれているというだけではありません。世界の捉え方が違うので、同じ状況でも違う体験になります。人様の悩みを見ていると、こういう風に考えたらいいのになと思う事がありますね。でも、自分の悩みだと簡単ではありません。みんな、思い込みにとらわれているんです。
愛は思うより素晴らしい
誰でも、これが正しいとか、素晴らしいという考えがあります。でも、自分を一番縛っているのは、自分自身の考えなんです。私達の考えというのは、世間の常識や人生経験から来ています。素晴らしいとか、間違いないと思うものほど点検が必要です。なぜなら、私達は大きな愛のほんの一部しか分からないからです。すべては愛と言うと宗教と思われるので、学校でも大っぴらには教えてくれません。愛というのは普遍的な事実です。その事実を認めると、いかに世の中の常識が頼りないかが分かると思います。私も、愛で無いものがたくさんあるように感じる事があります。だからこそ、変えるべきは外側の世界ではなく、自分自身の見方なんですね。
愛とは自分自身
すべては愛だから、自分自身も愛です。あれは愛じゃない、これも愛じゃないと思うのではなく、何もかも愛だと気づくと世界が変わります。そのためには、大きな愛が必要です。
愛の無い世界を生きるのではなく、愛を生きると決めて下さい。そうすると大きな愛を体験する人生になります。
厭世的にならないよう 愛を生きるのが良いのでしょうね
まとまってるので深く参考になります
みのるさん
愛が無いとするか、愛が在るとするか、どっちを取るかなんでしょうね。哲学者の名言よりも、大きな愛を見た方が良いですね。
世界の見方、捉え方によって、体験は変わってきますね。
愛を生きると決めて行動できたらいいですね☆
弘美さん
気持ちひとつでいかようにもなりますよね。心を開くと世界が変わりますね。
「一寸先は闇」と思える状況は、実は、「一寸先は光」だったりするのかもしれませんね
愛を知ると、本来の創造の立場に還れそうですね(^^)
ミラクルさん
実際のところ、一寸先の事は分かりませんからね。愛を信頼しているかどうかで変わるんでしょうね。
すべてを愛として捉えると
厭世的にならずに愛である世界を
いつも感じていられそうですね。
TORUさん
厭世的になるのは、愛を知らないか、疲れたかですからね。愛が無いと思わなければ大丈夫そうです。
厭世的になりがちな時ほど
大きな愛を知るチャンス!と気づくと
希望広がる見方で本来の世界への道に繋がりそうですね(*^^*)
美和子さん
チャンスなんですね。意外と曇っている時ほど光が差しますね(^^)
世界は 見かたで変わる 決めればそうなる
楽しい世界を感じられるよう 心を磨くだけなのですね(^^)
あやこさん
新しい自分を発見していくのも面白そうですね。