意味が分かると怖い話 なんてものを聞いたことはあるが
選択は人生にとって必要不可欠だからその選択の意味をきちんと分かっておこうと思った
しかし人が最も大切にしている愛という真理に基づいて選択を調べてみると
人生にとってほとんどの選択が意味のないものであることに気付いてしまった
そしてそれは人生を楽しくさせるとても面白い真理であることも
「究極の選択」(パーフェクトな選択の方法)
人生無駄にしないよう選択に後悔はしたくない
そのためには素直なパーフェクトな選択
つまり究極の選択をやって
道を創ってゆこう
右に行くか左に行くか
迷う時 選択の基準が必要となる
ではどのようにして決めたらいいのか
それは「意識」と「無意識」の両方を司る
「感情」によって決めてゆくことだ
素直さとは本当の感情だ
「選択という行為」
(喜ぶ為に楽しめる選択をする)
選択というのは意識によってしか生まれない
正確にはそうではなく「無意識」の中でも生まれている
ということだからそうではないが
無意識でも「意識」から出来上がってゆくという説があるから面白い。
「選択」・「意識」・「無意識」この3つが揃った時
人は創造する喜びを体験するのではないだろうか
喜ぶという瞬間を得るために
人は選択を楽しめるものだ
つまり「悲しいもの」「苦しいもの」「辛いもの」
そういった負の感情が湧くものは自然とさけて選べばいいのだ
“選択”なんて至って単純だ
しかし
きちんと自らと向かい合い
自分に自信がないと意外と難しいものだ
取り分け「素直に選ぶ」ということが
「自分勝手」というものと結びつけ
固定観念をつくり上げてしまった人にとっては難しいだろう
だから「 ”感情“+“意識” 」というものが役に立つ
これが習慣化してくると
「素直に選ぶ」ということで、笑える未来を選ぶことになる
実は「 素直 」という行為は
自分の周りにいる全ての人を喜ばせることが出来る行為であると
信じることで自分より他者に尊厳を与えることにもなるのだ
♥ 選択は信じる力も同行して 大きな力に発展する面白い行為だ
自分が今、素直になっているか
それを知るために、自分の感情をチェックしよう
穏やかに優しい気持ちになって選択という行為に臨んでみよう
それだけで未来は楽しく笑えるようになる
意識の中で選択するのに慌てることはない(^^)
なんなら瞑想してもいいと思うくらいの心の余裕をもとう( warai )
選択するスピードは後からついてくる v
余談になるが
信じずに素直さから離れ、愛の選択を行った結果
幻想世界で生きるようになったのが人類だともいえるのだろう
素直さから離れるとただ不安になる あるいは傲慢になっている
そんな自分がそこに居る
その状態では何を選ぼうと、楽しい結果は生まれない
「自由であると自分で認めるために
選択の意味が生まれる」
自分の人生はこうありたい
これからこうしたい
そんな時、選択を意識する。
いや、 “意識できる”といった方が正解だろう
いくらその時、楽しかったり喜びだと思っても
結果として、自らが求めている瞬間が手に入らなければ
あの時の選択はどうだったのだろう?と
首をかしげ後悔をしてしまうこととなる
いうなれば人生は選択によって全てが決まってゆく
あなたはそう思っていませんか?
実はそうではないんです
でも、そうあるべきなのです
「選択の科学」という本も話題になっているのでここから引用させて頂くと
“選択できる”ということは
自由を感じるための重要なプロセスであって
本人が正しいと思われた選択という行為によって
本当に幸せや愛を感じられるものでは決してない
という結論をもらえる
言葉を変えて話してみると
選択で実際に状況をコントロールできるかどうかよりも、
コントロールできるという”認識”の方が、遙かに大きな意味を持つ。
というのです☆彡
この内容から人と自由の関わりを考えてみたい
「選択の自由」
そもそも人は自由なのだ
選択できるから自由なのではない
ちょっと視野を広げると
自ら選択をせずに、
愛する人に委ねることで喜びや自由を感じられる人も多いではないか
しかし、よく見つめてみると こういった人も
自らは選択せず 人に従ってゆくということをその人は既に選んで結果をもらっているという
「無意識」による選択に近いことを行っていることになる
行っているというか、自由を与えられているという方が正解だろう
(完全な無意識とは少し違いはあるようだが)
人に委ねるという行為は
その人にとって喜びであり自由の証の選択になっているのかもしれない・・・
このように考えられると人はあらゆる状況下で「完全に自由だ」ということを
選択の行為に関係することなく与えられていることになるだろう
「選択の後悔」
すでにAを選んでいるのに 、Bをあのとき選べばよかった。
という後悔、したことありませんか
何かと物事がうまくいかなかったり
思い通りにならなかったりすると 誰しもがやってしまう行為ではないでしょうか
しかしすでに遅かりしですよね(笑)
それは知っていてつい 言葉にしてしまったり 暗い気持ちになってしまいがちです
しかし、すでに書かせて頂いた内容をよく理解して頂くと「選択する」という行為
その時はすでに、結果が決まっているものだということにお気付きでしょう
そうなっている理由は「人は愛の中で自由だから」です
Aを選んでも、Bを選んでも その人も思い通りの結果が顕れるだけなのです
そう 選択の自由を得ている私たちは選択の後悔は無意味であるばかりか
人生において己の道を歩むのに邪魔になるだけですね
「選択」というのは「迷い」が生じた時に意識をしています
意識をしている時に自らを認識するという喜びは高まります
その喜びの延長線はAを選んでもBを選んでも続くようになっているのです
ただ迷いをなくす、迷いをやめる、その為に選択はあるのです
ここで誤解がないように1つ重要なことを付け足すと
「選択をするという行為自体」は「自らはこういう者だ」と表せる
あるいはそれを体験するための大きな手段であり喜びです
「人生の選択」
では人生を決めるような選択
そんなものはないのでしょうか?
実はそれはもう終わっているんです
その結果が、いえ
人という選択をする存在であるがゆえの結果がこれです
この今の世界です
与えられた愛(可能性)の中で
人はその愛を試そうとした
愛でないものを選ぶという
最大の試みをした大いなる挑戦者だと
わたしは思います
意識でもって人は愛を試み(つまり愛を選ばなかったら愛はどうなるだろう)
という疑問を持ち
その体験を選択し臨んだという世界
それが今の世界です
わたしたちが受け止めるのは
その結果 愛はどうなっているのか ということ
愛に注目できなければ
大いなる挑戦は無意味です
その中で
わたしの中の大いなる愛は
どうしたいのだろう
何を顕し
何を体験したいのだろう
その答えが感情となって
ひとつの心になった時
本当に信じるものを選択するチャンスが来る
それを感じる今なのです
私の中の大いなる愛はどうしたいのだろう…。目が覚めてしまったので…。色々振り返りながら瞑想しながら…思った事をコメントします。
素直に気持ちを表現し、行動している人に出逢うと、私もそうなりたいなと思います。愛を中心に分かち合える方へ。感謝の気持ちが大きい方へ。自分を信じて選択して行こう。
どん底から少し脱け出し^^今は幸せを感じる時にあるのかも知れない。感謝の気持ちを忘れずに…。今の幸せをしっかり心にきざもう?何か変(笑)。そんな気持ちです。
何かスッキリもうひと眠りできそうです(笑)。
私の中の大いなる愛は、笑顔の源になる事を望んでる。心から笑顔になれる道。大いなる世界の実現。祈る事から始めようと思います。
どん底だった人生を抜け出せたのですから
ぜひ、心から笑顔になれる道を歩まれてくださいませ(*^_^*)
祈る事、なんでもやれるところから、やれることが嬉しいですよね☆彡
選択ということを思う時、〝人は愛の中で自由である” ということに
いきつくのですね。
日常において、
>穏やかに優しい気持ちになって選択という行為に臨んでみよう
>それだけで未来は楽しく笑えるようになる
Aなのか、Bなのかを迷い意識しがちですが、
どんな気持ちで選択という行為をしようとしているか、
も大切にしてみたいなと思いました☆
うわ~弘美さん、わかりやすく やさししコメントありがとう(*^_^*)
「選択」というテーマに取り組んで
意外と膨大になってしまって大変でした(笑)
でも読む人のが大変かなと(^^ゞ
だんだん春らしくなってゆく季節の中で
大切な選択を楽しみながら動くようにしたいですね♪
> 「”感情“+“意識” 」というものが役に立つ
> これが習慣化してくると
> 「素直に選ぶ」ということで、笑える未来を選ぶことになる
を「なるほど~」と思いながら読みすすめると、
> 穏やかに優しい気持ちになって選択という行為に臨んでみよう
という分かりやすく具体的なやり方が示されていて「そうそう!」と共感できたのと、感情が先走ってしまいがちな私のような人間でも、これならやれるな、と思いました(^^)
聖弥さん、感情についてのコメント嬉しいです。
普段の幻想世界で時間、空間があてにならない世界で
己の感情は本物になろうともがくのかもしれません
それを常にそばにいる愛で治めてゆく意識とともに
この世界を穏やかに優しく創ってゆく者なのですね(*^_^*)
本当にそうあろう(笑)