隣の芝生は青い ことわざにみる心の在り方


大きな繋がりの中で
大きな繋がりの中で

「隣の芝生は青い」 又は、「隣の芝生は青く見える」

という言葉を耳にすることがありますね。

『自分のものより、他人のもののほうが良く見えるということを意味する表現。』

なんですね。

こんな説明も見つけて面白いものだなと(^^)

【 自分の家の芝生よりも、隣の家の芝生の方が綺麗に見えてしまうという意味。

これは自分の家の芝生は、庭に出て正面から眺めるため、

傷んだところがよく見えるためであり、

隣の家の庭は柵を挟んだ斜めから見下ろして見るため、

傷んだところが見えないから綺麗に見えてしまう。

転じて、自分以外の人は幸せなように見えていても、

実際はそうでもないということ。 】

隣の芝生は青く見えがちなのは、眺める視点もあるのではというのも

また面白いなと思いました。

確かに、自分に関することは、いつも正面から見ているようでもあり、

だから、弱いところ、得意でないところも、よくよく見えている。

他の人は斜めから見ていたりするようなもので、そもそも視点が違っている

というのもあるのでしょうか。

では、続いて面白かった説明もうひとつ。

【 ここでの「となり」というのは身近なことを指しているのではなく、

「隣人」などのように自分の所有権が及ばないような状態を表しています。

子どもは自分のおもちゃより、他の子が持っているものの方ががよく見えて、

欲しがったりします。

人には身近なものより、手に入れていないものが欲しくなる傾向があるようです】

これも、微妙な心理ですよね。

自分が手にしているものは大したものではない、と思ってしまう傾向。

そもそも、それが当たり前のものとなってしまっているからかもしれませんね。

そして、自分が授かっているものは、

大きな目的の元に生かしていこうと決めれば、

多くの幸せに繋げるために自らを探求したくなりますね。

それは、手に入れてないものを欲しがっているより、断然面白いかもしれません。

大きな愛の世界のなかで

人は信じるものが違うゆえに、

それぞれの世界に生きているようなものといいます。

その意識であると「私の価値観」という範囲を考えるだけの人生で

終わりがちです。

そして、自分の世界の外にあるものは、

何となく表面的に見て、羨ましがったり妬んだりしているのかもしれません。

私達の心は繋がっているといいます。

1人1人が通ってきた体験によって積み上げられた障壁を崩していくことで、

少しずつ心は解放され、大きな世界が分かってくる。

もともと繋がっている心だからこそ、

ひとつ(全体)が分かるようになっていくのでしょう。

そうなった時に、「隣の芝生は青い」はどんな風になっているのだろうと思うと

興味深いところでもあります(^^)

あまり表面的なことだけで判断しなくなる気がしますね。

きっと、自分の芝生も隣の芝生も、全ては愛ゆえに美しい。

大きな繋がりを分かれば、それぞれが担う役割を尊重でき、

それが上とか下とかでもなく

全ての人のことを称えられるようになるのでしょうか。

そんな世界が楽しみに感じます。

ひとつに繋がる大きな世界を創造する、それは以下のリンクからも

チェックしてみてくださいね☆

そして、新しい世界でのことわざっていうのも、興味がわきました(^^)

ひとつの世界を創っちゃおう!


弘美 について

世界をひとつにする活動に参加しています。 誰もが愛であり、素晴らしい存在であることを実感しながら、楽しく広げていきたいです☆ よろしくお願いします。

12 thoughts on “隣の芝生は青い ことわざにみる心の在り方

  1. 『隣の芝生は青く見える』の説明興味深いですね。
    なるほど、たしかに視点によって見え方は違うんですよね。

    愛を知るうえで、不思議と個の自分を越えて様々な視点で見え方を知ることがよくあり、「ああみんな同じなんだな・・・」と気付かせてもらうことが多々ありますね(^^ゞ

    >そして、自分が授かっているものは、

    >大きな目的の元に生かしていこうと決めれば、

    >多くの幸せに繋げるために自らを探求したくなりますね。

    >それは、手に入れてないものを欲しがっているより、断然面白いかもしれません。

    これは素晴らしいですね。
    与えることで自分の持っていたものに気づけるってところもいいですよね(*^^)

    1. ミラクルさん☆

      本当ですね。
      「ああみんな同じなんだな・・・」
      ひとつなんだなというところへ還っていくことに気付かされますね(^^)

      >与えることで自分の持っていたものに気づけるってところもいいですよね(*^^)

      本当に、大きな目的を生きようとする時、自分の持っていたものに気付いていく流れがあるのでしょうね☆
      それはとても楽しめるものかもしれません(^^)

  2. >自分の芝生も隣の芝生も、全ては愛ゆえに美しい。
    >大きな繋がりを分かれば、それぞれが担う役割を尊重でき、
    >それが上とか下とかでもなく
    >全ての人のことを称えられるようになるのでしょうか。
    「大きな愛の世界」の中での思いや
    価値観が透かして見えているようで
    とても楽しく 猛暑の中、涼しさを感じられました☆彡
    ありがとうございます(^^)
    わたしもあなたも素晴らしいということは
    きっと大きな世界では
    普通なのでしょうねw

    1. あやこさん☆

      >わたしもあなたも素晴らしいということは
      >きっと大きな世界では
      >普通なのでしょうねw

      誰もが等しく素晴らしいと感じられる
      それが普通であるという世界が浮かびますね(^^)
      とても清々しい気持ちになります。

  3. 隣の芝生もわりと傷だらけだったりしますね。世界がひとつだとすると、むしろそれでいいのかなと思います。みんなが幸せになって、はじめて100%以上の喜びを体験できる気がします。

    1. 天大さん☆

      そうですね、一人一人がそれぞれに、色々な体験を経てきていますね。
      大きな愛の世界の中で、またそういった体験も思いも、愛と感謝に包まれて笑いあえる気がします☆

  4. 隣の芝生は色んな見え方があるんですね。
    うちには芝生が無くて知らなかった(笑)でも田んぼがあるのですが、
    確かに斜めから見ると稲の葉の光の反射で「きらきら」したり色んな見え方あります。
    これを隣と「比較」してしまったら勘違いするのかも知れないなぁー。
    リンクチェックですね(笑)

    1. みのるさん☆

      田んぼも、斜めから見ると色々な見え方があるのですね(^^)
      何でも単純に比較すると勘違いも生まれるかもしれませんね。
      大きなひとつを意識したいです。

  5. ひとつということが分かってくると
    他者を羨むこともなくなって
    ただ自分の素晴らしさと
    自分を愛するということしかないのかもしれませんね。

    1. TORUさん☆

      なるほど、自分の素晴らしさと自分を愛するということなのですね。
      大きなひとつの愛のなかで(^^)
      ますます、楽しみです。

  6. ひとつの心で動くと
    段々垣根がなくなってきて
    大きな愛の視界から
    ひとつが自然にわかりあえる
    素晴らしい世界をイメージできる記事に
    とてもわくわくしました♪(*^^*)

    1. 美和子さん☆

      ひとつの心で動くと、だんだん垣根がなくなって
      大きな愛が見えてくるのでしょうね。
      楽しみながら進んでいきたいですね☆

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