人間不信を克服する信(まこと)という在り方


信(まこと)
信じている。本来の楽しめる在り方

人間不信は、過去のトラウマなどが原因で起こり、孤独感や寂しさを生み出します。「信」の漢字が示す「まこと」という在り方を選び、人間不信を克服しましょう。

人間不信という状態はとても孤独で寂しいものです。

なぜなら、他者や自分自身を否定している状態だからです。

私も長いこと否定だらけで生きてきたのでよく分かります。

人間不信に陥るきっかけは様々ですが、原因としては、過去のトラウマ、或いは精神病によるとされているようです。

信頼していた人に裏切られるといった出来事で受けるショックは相当なものです。「こんな思いは二度としたくない」、「もう傷つきたくない」と願うのは当然です。

過去のトラウマからくる人間不信は、自分を守るため、二度と傷つかないために、「相手の言動をそのとおりに受け取り信じてはいけない」として、言葉の裏を考えたり、人を試したりするようになって始まります。

人間不信をやめたい。
孤独で寂しいのはもう嫌。

もしあなたがそう感じているのであれば、非常に運が良い方です。

こちらのブログでは、人間不信を克服するために役立つ方法が沢山紹介されていますので、ぜひ読み進めてみてください。

 

ところで、わたしたちは 信じている状態が本来 であることをご存知でしょうか。

「信じる」という行為ではなく、「信じている」という在り方です。

わたしたちの魂は「この世で愛を体験します」という愛の約束(誓い)をして生まれてきます。

生まれたての赤ん坊は、自分や他者といった存在の分け隔てなく、親の愛をいっぱいに受け、安心していますよね。

何かを疑うことなど一切ありません。

これは、誰もが願う「安心感」や「幸福」といった心の状態と同じであると言えます。

「信じている」という在り方は、「信」という漢字がもつ本来の意味にも通じます。

「信」は 「人」+「言」(「口」+「辛」) から成る会意文字です。

語源を調べてみたところ、面白いことが分かりました。

「口」は「誓いの文書」。
「辛」は入れ墨に用いる針の形。
これらを組み合わせた「言」は、「神に誓い、祈ることに虚偽不純があるならば、私は神の刑罰としての入れ墨の刑を受ける」という意志を表し、「謹んで言う」「はっきり言う」という意味。

「信」は

一度言明したことや約束したことをどこまでも押し通す人間の行為

あるいは

途中で屈することなく、真っ直ぐ伸び進む人間の行為

を表し、

「まこと」「真実」「誠実」

という意味を持つそうです。

こうしてみると、信じているという在り方は、「信(まこと)」そのものだと思います。

愛を受け、愛の存在を一切疑うことなく存在し、愛との約束を果たす

それが本来の自分という「信(まこと)」の姿

だからこそ、本来の自分ではない「不信」の状態は苦しいのですね。

人間不信を克服するには、「信じられている状態の本来の自分」という「在り方」を選ぶだけで良いようになっています。

それを選ぶと、世界は変わります。

本来の自分という愛の世界になります。

不信は終わります。

具体的にはこちら↓で紹介していますので、ご覧になってみてくださいね(^^)

SP世界をひとつに https://hitotsu3.jp/


聖弥 について

歌う喜びを、ひとつの音楽を、より多くの方と体験したいという願いとともに、聖楽教室(せいがくミュージック)を主宰しております♪

10 thoughts on “人間不信を克服する信(まこと)という在り方

  1. 聖弥さん。おはようございます。

    人間不信は…言葉の裏を考えたり、人を試したりするようになって始まります。この感覚私と同じだと思いました(笑)。

    自分で確かめてこれなら大丈夫と思えるまで、信じない。信じれない。と思ってて、凄く時間を使ってしまった様に思います。TCに参加して、実際に確かめてみよう。と思ったのも事実です(笑)。

    皆さんにお逢いして、blogを読むようになって、シンプルに楽に生きられる?考えられる様になってきました。ありがとうございます。

    信じられている。この言葉は、子育てにも大きな意味を持っていると思います。ありがとうございます。

    1. * みさこさん *
      おはようございます♪ 
      「自分で確かめて」 その行動を引き起こす原動力はきっと、自然と湧きあがる好奇心や「なんだかよく分からないけど惹かれる」といった純粋な愛の欲求で、愛を体験することに繋がっていますよね(^^) 
      「子育てにも大きな意味を持っている」 実はそれも感じながら書いていたので、しっかり受け取っていただけて嬉しいです☆彡 自分は愛(源)といつも繋がっていると分かっていれば、自然と委ねられる。楽になれる。結果も楽しめる。そこからまた未来へと繋げられる。信じている、すてきな循環が生まれますね♪

  2. >「信じる」という行為ではなく、「信じている」という在り方です。

    行為ではなくて、在り方というのが、なるほどと感じました。
    人間不信というと、周りの人や自分が信じられない、みたいな感覚でしたが、その根本は、愛を信じているというあり方に還ればいいのだなと感じました☆

    1. * 弘美さん *
      素的なまとめをありがとうございます☆彡 愛を信じているという在り方。自らの原点に還って、そこから始めると、「信じる」「信じない」で悩まなくて済みますよね(^^)

  3. 正しいから信じられる
    幼い頃はそう思っていました
    でも源を知って、精神世界を学ぶ中
    どうやら信じたものが成るようだと分かった時
    シンプルに人生を楽しんでいいんだと思えました(*^_^*)
    色んな角度から信じるを知って
    ここでは在り方に誓いまで・・・
    楽しくて魂の笑いが止まらない(*^_^*)
    人と人の繋がりも究極的にはわたしに還るようで
    他人がどうなのかというより
    わたしがどうなのか
    それが顕れ 在り方として還るのかもしれません
    ひとつって素晴らしいなぁと また 思います☆彡

    1. * あやこさん *
      あやこさん自身の経験と重ねての奥深いコメント、ありがとうございます☆彡 ほんと、何もかも「わたし」次第ですよね。「わたし」を否定して傷つけるのはこの辺で終わりにして、新しい解釈で「わたし」を楽しめるようになると、魂の誓いでもある「ひとつの素晴らしさ」が体験できるんですね♪

  4. 言葉や行いは色々ですが、人そのものを信じていることはできますね。レットイットビー。求めるのではなく、ありのまま自然とひとつになろうとする世界というパワフルなイメージが浮かびました。

    1. * 天大さん *
      昨日はお疲れ様でした(^^) 天大さんのコメントを読みながら、昨日のTCで学んだ内容が思い出され、「ひとつになろうとする世界」というイメージが膨らみました☆彡 大きな愛を感じながら「人そのもの」という本来の姿を信じているわたしとして、改めてLet it beを歌いたくなりました♪

  5. 本来の自分という在り方がまこと(信)によくわかりました(^^)
    信じられている状態の自分(愛)から世界(人生)を楽しみます☆彡

  6. * 美和子さん *
    > 信じられている状態の自分(愛)から世界(人生)を楽しみます☆彡
    いいですね~(^^) この宣言をされた美和子さんの在り方に、私もワクワク、楽しくなってきました♪ 元気が湧いてくるのも、本来の自分という自然体だからこそなんでしょうね、きっと☆

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