何か大きな夢、目標を叶えようとする時に、よく引き合いに出される
「千里の道も一歩から」ということわざがありますね。
今回は、そちらについて書いてみたいと思います(^^)
その意味を改めて調べてみると ~デジタル大辞泉より~
【遠い旅路も第一歩から始まる。
どんな大事業も手近なところから始まることのたとえ。
千里の道も一歩より起こる。】
ことわざの由来とは
そもそも、このことわざの由来はどこなのかなと思ったら
老子(中国春秋時代の思想家、前5世紀頃)の言葉からきているようです。
「合抱の木も毫末より生じ、九層の台も、累土より起こり、
千里の行も足下より始まる
(両手で抱えるほどの大木でも、毛先ほどの小さな芽から成長し、
九層にも及ぶ高台も、小さな土を重ねることから着手し、
千里の道のりも足下の一歩から始まる)」
なるほど、3つの例えの中のひとつだったのですね。
大木も小さな芽から成長しているし
高台も小さな土を重ねることから始まり
千里の道も足元の一歩から始まる。
どんなに大きなことと思えることも、
最初は小さなことから始まっているのですね。
千里の道って
その「千里の道」は、非常に長い道のりのたとえのようですが
実際に、千里ってどれぐらいの距離なのか興味深くて調べると
古代中国での一里は、約415mだったことから
千里だと、約415,000m(約415km)。
日本の東京大阪間が、約500km
東京名古屋間であれば約350km とイメージすると
その中間ほどの距離が、古代中国における千里の距離感なのかな。
「長い道のりのたとえ」に納得の距離です(^^;
そして、大きなことに思えても、
小さなステップに分解し、少しずつ出来ることを積み重ねていくことで、
いつか大きな成果となる。
それは何においても言えることなのですよね。
いつも自分の足下から
「千里の行も足下より始まる」の言葉があったように
自分の足下であって、それは「今できること」でもありますね。
出来ないことを、あれが自分に出来れば良かったのに、、といくら考えていても、
全く進んではいきませんが、今出来ることもあるはずなので、
結局は出来ることを積み重ねるということ。
そして、大きな目標ばかり見て、こんな小さな歩みなんて
ほとんど進んでないと同じだ、と思っていると苦しいものですね。
その一歩を楽しむ、それができたらいいですよね。
歩みを楽しむのも、本当に叶えたい目的があることが第一でしょう。
そして、1人ぼっちだと思うよりも、大きな愛を感じながら、
そして同じ目的を持つ仲間とともに、というのもいいですね。
楽しんでいる状態は、心地よいエネルギーを発している気がします。
そして、楽しみながら物事を形にすることができそうです。
あなたの夢 みんなの夢
輝く世界の為に、出来ることから始めてみませんか?
ぜひ、こちらのページもご覧くださいね☆
本当に一歩が肝心ですよね。ゼロはゼロのままだけど1は重なればたくさんになりますね。
天大さん☆
本当に、一歩が肝心なのですね(^^)
ゼロと1の差は、大きな違いとなって現れてくるのでしょうね。
まずは一歩踏み出す勇気を
詳しくはHPを見てみようかな。
TORUさん☆
そうですね、リンク先のHPから
一歩踏み出せる、行動できることから始めてもらえると嬉しいですね(^^)
>どんなに大きなことと思えることも、最初は小さなことから始まっているのですね。
小さなことからコツコツと
というものを思い出しました
大変と思わず済むように 同じ目的をもつものと楽しく行くことが出来れば良いですね
みのるさん☆
小さなことをコツコツと、大切ですね☆
そしてできれば楽しく、目的を同じくして共に歩めたらいいですよね(^^)
千里の距離が具体的にイメージすることができ
楽しく読ませて頂きました☆彡
長い道でも楽しめる一歩が貴重で歩める自体が喜びとなるような
そんな千里を知って歩みだす そこから本来の人生が開始される
そんなイメージが浮かびます!(*^▽^*)
あやこさん☆
千里の距離を具体的にイメージすると、このことわざもより身近に感じたりしました(^^)
歩めること自体が喜びとなるような、そんな人生は素晴らしいですね☆
輝く世界に向けて一歩を楽しむと
進んでる喜び体験から愛の中で
新たな創造の一歩が心地よく確実にできそうですね☆(*^^*)
美和子さん☆
自らの喜びの一歩が大切な創造となっているのですね☆
愛の中で進んでいきたいものだなと感じます(^^)
どこに向かって最初の一歩を踏み出すか
それが大事ですよね
本当に叶えたい目的があるからこそ
大きな愛がいいなと私も思います☺
ミラクルさん☆
本当に叶えたい目的に向かって踏み出す一歩(^^)
そこから力強く始まっていきそうですね。