俯瞰(ふかん)するとは、高い所から見下ろすこと。
全体を上から見ること。
そんな意味であるようです。
まるで鳥が空から眺めているように、というイメージもわきますね。
悩んでいる時は、つい一箇所にどっぷり意識が向いているでしょう。
そこにはまりこんで抜けられないようになっている。
そんな時に、もっとより広く全体を見られたら、
また違った気付きをもって生きられそうですね。
視野が広がる瞬間とは
愛と平和の未来を創造しようと参加させてもらう中においても、
ふと視野を広げてもらう感覚になることがあります。
たとえば、先日の創造の会後の懇親会でも、食事をしながら
試練といえるような体験があったということが話されたりした時に、
【試練があるということは、それだけまだ “伸びしろ” があるということだから。】
という一言も(^^)
その体験を経て気付き、更に大きく成長できるという証。
その渦中は大変に感じても、より豊かな愛がそこにはあるのでしょうね。
さらっと話される言葉にも、とても深いものを感じつつ、
より広がる感覚を私も一緒に感じさせてもらいながら。
まだまだ、人生途上ですが、確かに振り返ってみても、悩んでいたことは、
体験しつくしてみると愛に包まれていたことに気付かされます。
より俯瞰して見られるようになる、感謝ができるようになっていくのですね。
そういう意味でいえば、一気にすべてを解決したり、焦ったりすることが
全てではないのかもしれません。
この世界で体験していくことを通してしか分からないこともあって、
そう思うと、この世界はどんな瞬間も限りなく豊かなのでしょう。
思い出しゆく喜びの人生
全ては愛から始まり、その中で私達は生きて体験し、気付き、
また一回り大きく豊かになれる。
色々な体験を経て俯瞰し、愛に還っていく。
【胎児は母のお腹から出た後に光(愛)であることを40パーセント忘れます。
60パーセントを6歳になって考え始めるのです。】 と聞いたことがある。
忘れて思い出す。
思い出すその過程が喜びであり、
より大きな愛を思い出し、俯瞰できる視点も持てるようになっていくのかもしれません。
ただ、苦しみすぎて、試練に振り回されて、
本来の楽しさを味わうためのものであったことを、忘れてしまわないために、
そもそも、この世界を創られた愛(源)のエネルギーと共に生きるのが道である。
そうすれば、本当に楽しむ道となっているのが感謝と共に味わい行けます(^^)
全ての人が、俯瞰して人生を笑える。
豊かに生きられる。
今、苦しんでいる、悩みが深いという方も、ぜひ諦めず
一緒にこちらのHPをご覧いただき、新たな一歩を踏み出してみてください♪
試練の最中にいるとどうやって乗り越えて行けばいいのか
あれこれと悩んだりしてしまいますが
後になって考えるとまだまだ自分は未熟だったのだなと
笑ってしまうような時が来るのでしょうね(^_^)
TORUさん☆
まだまだ自分は未熟だったなと笑える時は、
より大きな愛を感じつつ笑っている感じなのでしょうか(^^)
そういう楽しさ、大事だなと感じました。
試練中はその試練に集中して問題の解決や思考に集中し深く体験することかもと試練を超えたからこそ言える場合もあるが、有意義に試練を乗り越えるには記事のように一旦俯瞰する訓練を小さな試練から習慣化するといざな時楽しめる試練になるかも。
みのるさん☆
>一旦俯瞰する訓練を小さな試練から習慣化するといざな時楽しめる試練になるかも。
なるほど、俯瞰する訓練を小さな試練から習慣化するのは良さそうですね☆
日頃から身についていると、生き方も変わってきそうです(^^)
愛に溢れている内容にとても心が満たされます。
>より俯瞰して見られるようになる、感謝ができるようになっていくのですね。
俯瞰ってちょっと響きのせいかあまり興味のない言葉でしたが
弘美さんが書かれているせいかな(笑)
やさしさを感じられ、引き寄せられました。
そして俯瞰はわたしが興味を持っている「全体」という単語
これにも類似しているように感じられ
とても新鮮なものでありながら
わたしの中に馴染んでゆくのを感じられました。
すばらしい記事をありがとうございます(*^_^*)
あやこさん☆
なるほど、俯瞰と全体は繋がるものを感じますね(^^)
先日の懇親会のことも書かせてもらいましたが、天地創造の会の内容でも、俯瞰という言葉が自分の中で繰り返し浮かんできました。
なぜか言葉にすることがありませんでしたが(笑)
より楽しんでいくために、意識したいと思っているところなのかもしれません。
>全ては愛から始まり、その中で私達は生きて体験し、気付き、
また一回り大きく豊かになれる。
色々な体験を経て俯瞰し、愛に還っていく。
年の瀬に俯瞰の意味をわかりやすく伸びやかに
教えていただき、ありがとうございます(^^)
2016年を俯瞰しながら振り返り
愛に還ってゆく気持ちを大切にして
スッキリ心地良く愛の中で来年を迎えたいと思います☆(*^^*)
美和子さん☆
2016年も、もう残りわずかなんて早いですね。
また来年に向けても穏やかに意識を向けられる
嬉しいコメントをありがとうございます☆
お久しぶりです
とても胸に響きました
最近、自分の目の前の現実は試練も含めてすべて自分がつくりだしている、すべて自分が望んだ通りの現実が現れているということを知りました
そして今まで自分とそれ以外と思っていた現実が実は“わたし”しか存在していないということも
その“わたし”を大切にする、生きていることに感謝するだけで、もう十分幸せなんだと思いました
こうやさん☆
コメントありがとうございます(^^)
実際に体験されたことからの気付きもシェアしてくださって、生きることの深さを感じさせて頂いています。
〝わたし”しか存在していない、その〝わたし”を本当に大切にすること。
ひとつである世界に繋がっていくのを感じながら、また創造を楽しみたいと感じました☆彡
『盲亀の浮木』
人とのつながりは盲亀浮木の如く。
大海に住む盲目の亀が百年にただ一度だけ海面に浮かんでくる時に、
たまたま穴の開いた流木が浮いて、その流木の穴に首入れるという仏教の寓話があります。言わば、めぐり合うことは非常に難しいことの例えです。
血のつながる家族となることは、盲亀浮木のような奇跡の確率です。
生まれてくることは、両親がいます。
両親のそれぞれの両親、合計4人。
このようにさかのぼって考えてみましょう。
10代前を遡ったら自分と同じ血が流れている先祖は1024人。
20代前だと約100万人!!
そのうちのただのひとりでも欠けたら、自分はいま存在していないです。
「命」を次につないできたから、現在の自分の「命」があります・・・
奇跡的なことのように思えます。
そのように考えてみると、先祖の大切さがわかり、お墓の重さがわかります。
先祖に手を合わせて感謝しましょう。
☆ 苦も意図ありさん
コメントありがとうございます♪
盲亀の浮木。
この世界を生き、めぐり合えることの有難さを感じました。
何かに悩み苦しんでいても、そういった視点でこの命の繋がりを感じるられると、また人生を力強く進んでいけそうに思いますね。
俯瞰に繋がるお話と感じ、心に染み入りました(^^)