不立文字とは、禅の言葉で文字で悟る事は出来ないという意味です。では、悟るために必要な事は何でしょうか。
学ぶ事は重要ですが、本を100冊読んでも悟れるわけではありません。
悟りにおいて一番重要なのは、愛に対する制約を取り払う事です。
限りなく大きな愛があって、世界は文字通りひとつである。
そんな愛を直視出来る人はほとんどいません。宗教がダメだから神様はいないという人がたくさんいます。宗教が微妙だったら、それを超える何かがあるはずだと考える人が、大きな愛を見られる人です。
ですから、自分の愛に対する限界を取り払うのが最初のステップです。一番大事なものを信じられないのに悟りも何もありません。個人の価値観を越えたところに本当の悟りはあります。
PCやスマホをネットに繋げるにはケーブルやWiFiが必要ですね。神様に文句を言う前に自分から繋ぐ必要があるんです。繋げていないものは感じられません。開かれていなければ見えません。大きな愛に心を開くと本来の世界が感じられてきます。
悟りの次のステップは、行動と体験です。大きな愛を見ながら、行動と体験を繰り返す事で血肉になっていきます。心からの愛をやっていく事で、すべてが変わっていきます。
言葉で悟れないという事は、愛の世界は完全に実力勝負です。必要なのは知識や技術や修行ではなく、意識と生き方です。どんな意識で、どんな生き方をしてきたかだけが問われます。
大きな愛は確かに存在します。なんとなくぼかす事が美徳とされていますが、それは何が本当か分からない段階での知恵に過ぎません。愛を明確に意識し、そのために生きる事。それが本当の悟りへの道です。
言葉よりも存在自体が愛や悟りになっている事が理想ですね。日常から大きな愛を生きる事で、不立文字、すなわち、文字によって立つのではなく愛によって立つ事が出来るようになります。
読むだけでなく実践に興味がある方はこちらをどうぞ。
言葉は便利ではありますが 言葉自体に制約があるのもまた事実ですね
体験やイメージ インスピレーションを言葉では表現しきれないこともありますね
そして 言葉にできないくらい愛の体験というのは素晴らしいものなのかもしれませんね( ^^ )
ミラクルさん
人間、生きてこそ分かるものなのでしょうね。さとりってひとつのようでいて、人間の数だけ体験があるように思います。だからこそ、何のために生まれて来たのかに立ち返りたいですね。
不立文字 仲間同士なら通じ合う 知人同士で通じ合うものは 他人では通じず逆の意味でとられてしまう場合があるのと似てますね
みのるさん
文字は不便ですね。信頼関係があってはじめて心が通じる気がします。言葉だけで理解出来ないというのは、そういう戒め的な意味もありそうですね。
>悟りにおいて一番重要なのは、愛に対する制約を取り払う事です。
なるほど(^0_0^)★
なんか悟りの新しさを感じつつ読ませて頂きました
人というのは面白いなと
希望を感じるお話をありがとうございます(*^^*)
あやこさん
大きな愛を知らないと、小さな悟りになるなあと。難しく考える事はなかったんですね。
>どんな意識で、どんな生き方をしてきたか
人生を貫く内容ですね。
自分の悟りだけが目的になってしまうと、また小さくまとまってしまいそうですね。
弘美さん
悟りの落とし穴はそこでしょうね。自分より大きな愛を見る必要がありますね。
「悟り」難しいイメージありましたが
>愛を明確に意識し、そのために生きる事。それが本当の悟りへの道です。
この道なら誰もが悟れる機会があり柔軟で温かな懐の深さを感じます(^^)
愛としての行動と体験が本来の楽しい未来に繋がるのですね☆
美和子さん
愛が大事だと分かると悟りはどっちでもいいと分かりますね。愛であれば体験すべてが悟りにつながりますね。
体験を通して悟りを分かってゆく。
その行動こそが自己表現であり
本来の芸術という楽しい行動から
愛の世界を分かっていく感じがします。
TORUさん
悟りというもののイメージを変える事で、本来の愛の世界をやれそうですね。