本物を表現していく芸術家とは


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本物を表現していく芸術家とは


本物の芸術

本物の芸術という言葉を耳にしたりする。

きっと何かを表現をする芸術家とは、

人に感動を与えることができて、
末永く愛され、時代を超えて残っていくような
そんな表現をしたいと思っているのかもしれない。

ただそれは、結果。
アウトプットされたもの。

だとしたら、「本物の芸術」。
それを生み出す側が、「人として本物だ」ということだろうか?

でもそもそも、人に「本物」も「偽物」もあるのだろうか?

きっと、大切なことは、私達は誰もが愛であり
素晴らしい存在であるということ。

私達はひとつ、なのだから。

ただ、自らのその素晴らしさを存分に表現できている人と、
未だそうではない人、

その両者は存在するのかもしれない。

そして、その両者を分けているものがあるとしたら?

それは、表現を生み出す人が、
どんな目的を持ってやっているのか?
ということかもしれない。

 

どんな目的を持って生きているのか

たとえば、ある人は、

「目的?
そうだな、上手くなりたいし、
技術も高めていきたいしね。」

と答えるかもしれない。
とても共感できる、もっともなことのようにも思える。

さて、もう1人は、

「目的、それは世界をひとつにするため」 と答えたとしよう。

急に大きなことを持ち出したようにも思える。

目の前の一枚の絵であったり、
あるメロディを奏でることであったり、

そのことと、世界をひとつにするということが繋がるの?と。

でも、「世界をひとつにする」という目的は、
その人だけの個人の目的というわけではなく、

あらゆる命の始まり、世界の始まりからあった、
根源の目的でもある。


根源の目的を生きる 

その芸術家は、その根源の目的を
それは自分の目的でもあると一体化させて生きている。

実は、大きなことを持ち出しているように見えて、
とても自然体な生き方でもある。

この宇宙の自然に適っているので、
愛の源からのインスピレーションを受けとれたり、
自分が授かっている能力を活かしきることができる。

「上手くなりたい、技術も高めていきたい」

そういったことも自然と磨いていけることだろう。
そのひとつへの道の中で。

そして、誰もが素晴らしい存在であるということを心から表現し、
また多くの人はその表現に共感していくこともできるだろう。

皆が持っている美しさを称えていることでもあるから。

 

本物を表現していく芸術家とは

私達にとって、本物を求めていくことは、
愛(源)を求めていくことだろう。

そしてそれは、探すのではなく、私達そのものである。
それを誰もが表現していける時なのだ。

根源の目的と一致させて、
ひとつであるという真実に心を開いて、まっすぐに生きられること。

私達がすでに持っている素晴らしさを表現していけること。

そんな愛(源)を表現していく芸術家の道は、
こちらからご案内しています♪

世界を考える 愛の世界 悟りの世界 喜びの世界!


弘美 について

世界をひとつにする活動に参加しています。 誰もが愛であり、素晴らしい存在であることを実感しながら、楽しく広げていきたいです☆ よろしくお願いします。

8 thoughts on “本物を表現していく芸術家とは

  1. 空気が清んできたからか、電車の中から富士山を見ることが出来ました。嬉しかったです。夜も、星や月の光が綺麗になってきましたよ。

    色んな秋を楽しみたいですね☆
    愛を表現する芸術家…。ほんとに素敵な表現だな~。

    1. みさこさん♪

      あたたかなコメントありがとうございます。
      うわぁ、富士山が見えたんですね(^^) すてきですね。
      ほんと、晴れた日の空もすごくきれいだし、
      夜の月や星も、とてもきれいで見とれちゃいますね!
      秋を楽しみたいですね☆

  2. >「上手くなりたい、技術も高めていきたい」

    先ずは、こんな進取な生き方から来て頂いて、
    それからは、どんどんインスピレーション等との波動の合わせ方を
    教えて上げたいです。もちろん知らなかった方に(笑)

    1. みのるさん♪

      そうですね、上手くなりたい、技術も高めていきたい
      そういう強い思いで探究されている方もおられますね。
      そして更に、愛(源)との波動の合わせ方や、インスピレーションを
      得られるようになっていけるのは、とても素晴らしいことだと思います。
      ぜひ、より深く学びたいという方に来ていただけると嬉しいですね☆

  3. どんなに有名な作品や舞台でもその場から立ち去った後
    虚しさを感じる事がよくあります。

    それとは逆に、どんなに粗末な歌でも感動してしまう時があります。
    そう、NHK のど自慢、ご存知の方も多いと思いますが。
    今までずっとなぜこんなに自分は感動するのか、不思議でした。
    でも、今回、弘美さんの記事を読めて そうだったんだな と合点しました。

    >私達がすでに持っている素晴らしさを表現していけること。

    このような舞台をそこは準備され、歌い手(素人さんですが)を
    迎えていたからなのだなと、ようやく分かりました。
    その人自身の素晴らしさを称えるような舞台を
    一瞬の本番に合わせて創り上げているのだと思います。

    芸術って、芸術だけでは成り立たない。
    色んな準備が要るのです。

    また名古屋講演会が楽しみになってきました(^^)w

    1. あやこさん♪

      NHKののど自慢について、技術的な歌のうまい下手を超えて、
      とても感動することがありますね。
      その人自身の素晴らしさを称えるような舞台ですか。
      興味深いお話をありがとうございます☆

      そして、芸術は芸術としてだけは成り立たなくて
      その基盤となるような準備もいるのですね。
      ぜひ、その準備をも楽しみながら、
      ひとつである私たちの素晴らしさを表現できる舞台を
      芸術家の方とも一緒に創れたらと思いました。
      名古屋講演会、本当に楽しみです☆彡

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